コラム連載回顧 三次の専法寺副住職 梵さん 戻り切らぬ日常 「自利利他」続けて
23年12月25日
世界で紛争 自分中心の発想から
新型コロナウイルス禍が去り、宗教界も法座や講演会のにぎわいを取り戻した。混迷を深めたままの国際情勢に心を痛める日は続く―。そんな世相を反映したコラム連載「自利利他」を執筆している浄土真宗本願寺派専法寺(三次市)副住職の梵大英さん(46)に、2023年を振り返ってもらった。(山田祐)
コロナ禍を経て
5月以前の記事を読み返すと、「コロナ禍」という言葉が再々出てきます。日常が戻ったように思える今から振り返ると遠い昔のようですが、つい最近まで制限された生活がありました。
連載のタイトル「自利利他」は「他の利をもって自らの利とする」、つまり他人の喜びを私の喜びとしようというお釈迦(しゃか)様の教えです。多くの人が困難に直面したコロナ禍中に社会に広く浸透しました。地域に根差す寺の僧侶として、ずっと大切にしてきた言葉でもありました。
2500年も前に説かれた教えの源流に触れるため、お釈迦様ご生誕の地であるネパール・ルンビニを6月に旅しました。40度を超える灼熱(しゃくねつ)の世界。電気や水道も十分には整っていませんでした。お釈迦様の時代はさらに過酷だったことでしょう。
自分が生きるか死ぬかも分からない厳しい環境で、他者を思いやるよう説かれた言葉。だからコロナ禍で苦しい状況に置かれた人たちに響いたのでしょう。
感染症対策が緩和されてからは、東京や京都ではオーバーツーリズム(観光公害)が問題になるほどにぎわっています。
しかし、地元三次の飲食店の店主さんたちと話していると、「思ったよりも客足が戻らない」とよく聞きます。格差はコロナ禍以前よりも拡大しています。支え合える社会でありたいものです。
混迷する国際情勢
ウクライナとパレスチナ自治区ガザで、紛争が続いています。当事者には言い分があるのでしょう。でも、子どもを含む大勢の人々が亡くなっています。
浄土真宗で大切にしている仏説無量寿経に「兵戈無用(ひょうがむよう)(一切の兵器はいらない)」という教えがあります。キリスト教にも「汝殺すなかれ」という言葉があります。人間ならば誰しも、他者の命を奪うことに罪悪感があるはず。
分かっていながら、どうして戦争が繰り返されてしまうのか。「自利利他」から逸脱した、世界の根底にある自分中心の発想を変えていかなければいけません。
日本にいると、遠く離れた地域のことと思いがちです。でもウクライナに、もしかしたら友人の友人がいるかもしれない。ガザの市民、イスラエルの兵士の誰かは、どこかでつながっているかもしれない。全ての事象は結びついているという「諸法無我」の教えを思います。見えない縁や絆に思いをはせましょう。
生成AIの台頭
飛躍的に発達した生成人工知能(AI)が話題になりました。試しに使ってみると便利なものです。さらに発達し続けるのであれば、いずれ人間が勉強をしなくても全てAIが考えてくれるような時代が来るのではないかと思います。
コロナ禍で対面が制限された時期、人と人のつながりを保つために大いに役立ったのがオンラインでした。一方でSNS(交流サイト)上では攻撃的で過激な内容が飛び交ったり、犯罪に使われたりする現状があります。
効率化を追求した結果、利己主義的な風潮につながってしまっているのではないか。本来は人類が豊かに暮らしていくために開発されたはず。ならば争いをなくす方向に使われてほしいと思います。
仏教でも、その他の宗教でも共通して、他者を思う精神は説かれています。みんなで共有し合えたらと願います。
(2023年12月25日朝刊掲載)