広島世界平和ミッション 賛同者・浜田省吾さんの父・敏太さんの原爆投下朝の体験記
11年5月18日
■賛同者メッセージ
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昨年の暮れに中国新聞社の方から「広島世界平和ミッション」に寄稿を依頼され、r>
広島で救援活動中に二次被爆した父のことを書きました。r>
明けて、2004年の正月に姉宅を年始で訪ねた時に、r>
姉から「お父さんの原稿が出てきたのよ」と、これを渡され読んだ時、r>
あまりの偶然に驚きました。r>
内容が父の「原爆投下の朝の体験記」だったからです。
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残念なことに、おそらくは長い体験談になったであろうこの原稿は、r>
第一章までしか書かれていません。r>
日々の忙しさに追われ、そのままになってしまったのでしょう。
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それとも、この先を書くことが精神的に困難だったのかもしれません。r>
これを書いた当時、父は54歳で大竹署に勤務しており、r>
定年を次の年にひかえていました。r>
私は18歳の予備校生で初恋やら家出やら、今思えばまさに青春していた時期でした。r>
そんな私も今やこの当時の父と同じ世代になり、感慨深いものがあります。
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この原稿は校正せず、そのままタイプしました。r>
途中数個所判読できない字があることをご了承下さい。
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これをタイプしている今日は2004年4月30日、父の17年目の命日です。r>r>
■原爆被爆26周年に憶(おも)う/ 大竹署 浜田敏太
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はじめにr>r>
あれから26年、被爆地広島市が世界平和のシンボルとして、r>
生々発展してゆくよう心から祈ろう。
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今被爆当時の記憶をペンで綴(つづ)ろうとするとき、r>
いささか抵抗を感じるのは何故だろうか。r>
私だけの心の片隅に、そっとしておきたかった、r>
それが原爆犠牲者、そして先輩、同僚の霊に対する礼であろう。r>
多くの体験者は静かに見守り、祈りを捧げているではないか。r>
そして広島市と私の体内に滲(し)みついた悪夢にも似た傷跡をかき廻すことのr>
おろかしさと不安…さまざまなほろ苦い感情と疑問のもつれがうずまく心地がするのです。
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勿論文才のないことは論外としておこう!
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最近各専門家によって多角的に資料が収集され、r>
高度な文筆技術等によって広島の記録が著書「広島原爆戦災証」としてr>
近く出版されると聞いているとき、今日の記念日のできごとを瞑想しつつ、r>
当時の記憶の一ページを一気に書きなぐってみたくなったことを了承願いたい。
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