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『想』 中道豪一(なかみちごういち) 広島 祈りと喜びの日

 約40年前のある夏の日、激しく降る雨を見た大正生まれの祖父が「管絃(かんげん)のくそ流しじゃな」とつぶやいた。その意味を備後生まれ広島育ちの母が尋ねたところ、祖父の説明はこうだった。

 下水道が整備されていない時代の旧暦6月17日、宮島の厳島神社で行われる管絃祭のために集まった人たちのし尿が問題になっていたが、祭りが終わると、神様が大雨を降らせてきれいにしてくれる。それでその頃の大雨を「管絃のくそ流し」と呼んだそうだ。

 旧暦6月17日は、原爆投下前までの広島市中心部が、厳島神社の神々への祈りで満ちていた。現在の平和記念公園の祈りの泉そばにあった厳島大明神や、現在も京橋そばにある厳島神社では多くの人が祈りをささげた。広島の川や海には御供船(おともんぶね)が姿を現し、白島九軒町の河原での数百ものたいまつや、町々に掲げられた高ちょうちんが夜の闇を照らした。

 人々は満ちてくる潮をくみ、宮島にむかってかしわ手を打ち、広島市中心部は多くの人でにぎわった。「管絃のくそ流し」は、そうした祈りやにぎわいにも由来する言葉なのだ。

 この祈りと喜びの日は、戦後、悲しみの日である原爆投下の8月6日と19年周期で重なる。さらに昭和20年の8月6日は、管絃祭で活躍した江波の人々が地元で行う火祭りの当日だった。原爆の惨禍を語り継ぐことは大切だが、私たちは「原爆で亡くなった人々が大切にしていたもの」を語り伝えるという営みをおろそかにしてはいないだろうか。

 私の祖父は亡くなり、祖父の話を私に伝えてくれた母も、今年11月に亡くなった。その翌日、原爆と戦後の混乱で所在不明となっていた御供船の艫飾(ともかざり)の一つが見つかった。町々が趣向を凝らし、デザインした8畳ほどの幕である。長刀を構え金色に輝く弁慶の姿は、広島の地で生きた人々の祈りや願いの結晶だ。この発見は、母や祖父や先人が導いてくれたように思うと共に、記憶のバトンを引き継ぐことを改めて誓う瞬間だった。(神道学者)

(2023年12月28日朝刊セレクト掲載)

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