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社説・コラム

『潮流』 ビキニ事件70年

■岡山支局長 中島大

 岡山市の岡山芸術創造劇場ハレノワで先月、演劇「わが友、第五福竜丸」を見た。70年前の3月1日、米国のビキニ水爆実験で被曝(ひばく)したマグロ漁船の物語である。

 劇が進むにつれ、あるはずのない船が舞台に鎮座し、こう訴えかけている感覚に包まれた。「事件は終わっていない」と。

 学生の頃、実家から1駅先の東京都立第五福竜丸展示館(江東区)で古びた木の船体を間近に見たことがある。

 その後、再びこの船を思い返したのは、東日本大震災が起きた2011年の8月のこと。元乗組員の故大石又七さんを広島で取材したからだ。

 福島第1原発事故を受けて脱原発の全国組織を結成し、その代表者として来ていた。

 そばで見た大石さんは背筋を伸ばして腕を組み、常に表情が険しく近寄り難かった。「たっぷり味わった放射線の怖さが教訓として生かされていない」。集会で聞いた声は悲しげだった。

 舞台を見ながら当時のやりとりを思い出した。被曝後の半生を振り返る大石さんのせりふが度々出てきたからだろう。

 体の異変への恐怖、がんとの闘い、いわれのない差別、最初の子どもが死産だったこと―。直接聞けなかった苦悩が語られていた。

 乗組員は何が起きたのか分からないまま、死の灰を浴びた。「南洋に雪なんか降らねえよ」と灰を払い、困惑しながら漁を続けた。終幕には裏切られた人間の姿があった。米国と被害の全容を隠蔽(いんぺい)した日本政府への怒りがにじんでいた。

 発生から70年が近づき、事件は風化していないだろうか。元乗組員の人生を狂わせた史実と、彼らの苦悩を忘れてはならない。

(2024年1月9日朝刊掲載)

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