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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 演劇で問うビキニ事件 70年前の被曝 今と深いつながり 劇作家・劇団「燐光群」主宰 坂手洋二さん

 米国の核実験による「死の灰」を太平洋で浴びた日本の漁船をテーマにした劇「わが友、第五福竜丸」が昨年秋から全国7カ所で上演された。手がけたのは、岡山市出身の劇作家で劇団「燐光群(りんこうぐん)」主宰の坂手洋二さん(61)。ビキニ事件をはじめ社会問題を積極的に取り上げた演劇で、日本社会に何を問おうとするのか聞いた。(特別論説委員・宮崎智三、写真・山崎亮)

  ―福竜丸が被曝(ひばく)したビキニ事件から70年になります。
 2011年に起きた福島第1原発事故で、私たちは低線量被曝に関する知識を持たざるを得なくなりました。過去には、乗組員23人が被曝し、1人が亡くなった福竜丸の事件が例としてあります。放射能汚染されたマグロが水揚げ後に廃棄され、放射能を帯びた雨も降り、国民みんなが不安になりました。信じられないことに、それまで放射能という言葉や、その存在自体が隠されていました。

  ―事件を機に国民的な原水爆禁止運動が起きましたが、今は半ば忘れられています。
 福竜丸以外で死の灰を浴びた高知の元漁師の皆さんが近年、国を相手に裁判を起こしました。それを知ったことで劇を構成する要素を大きく変えました。90歳を超えた原告の方々にも会いました。周りの人が次々亡くなって…。生々しい話を聞いて、現在進行形の問題だと感じました。

  ―岡山公演を見ました。マグロの放射能検査の唐突な打ち切りや、被曝の影響の隠蔽(いんぺい)といった膨大な量の史実と、その背後にある米国の動きも盛り込んでいます。
 「第五福竜丸のことなら知っているよ」と言われるのが一番悔しいと、東京にある福竜丸展示館の知り合いがよく話しています。歴史の一ページとしてではなく、現在の私たちにつながる問題として、本当は何が起きたのか。劇を見た人に考えてもらうため、いろんな情報を舞台の上に載せました。

 ―福竜丸が死の灰を浴びる場面の描写が圧巻でした。
 新藤兼人さんの映画「第五福竜丸」(1959年)は非常によくできています。最初に死の灰を浴びるところを描き、経過を追います。ただ、劇では被曝する場面は最後にしました。水爆の光を見て、船が大きく揺れ、黒い雲が来て死の灰が降る―。そのとき、20代が多い乗組員は何を感じたのか。放射能の知識は持っておらず、ただ驚いています。

 でも私たちはその後に起きたことも知っています。全てを知った人が体験したら、どうなるのか。被曝した事実を今の視点で見る。そんな展開のこの劇を見た人も、問い直すことができます。

  ―確かに、現在とのつながりを強く打ち出しています。
 そこにこそ演劇で今、取り上げる意味があるからです。私自身、福島の放射能汚染土を新宿御苑で再利用する政府の実証実験計画に反対する住民団体の世話人の一人になっています。原発事故をはじめ放射能を巡る多くのことが現在とつながっているのです。

  ―核実験による海の放射能汚染は、福島の事故原発で出た水の海洋放出といった今の問題と重なって見えます。
 ビキニ事件の時は、水産庁が調査船「俊鶻丸(しゅんこつまる)」を現地に行かせました。若い科学者たちが中心になって海の放射能汚染の実態を解明しました。

 しかし今の日本に俊鶻丸はありません。福島の事故を経た今も、客観的な学術判断によって社会を変えていく機運がなくなっています。当時に比べ、今の日本は大丈夫なのか、疑問を感じます。

  ―これまで、沖縄の問題やひきこもりといった社会派の劇を多く世に問うています。
 結果として、日本社会の問題点が浮き彫りになってくるのかもしれません。高知での取材で産業の変化を感じました。漁業をはじめ1次、2次産業がなくなり、消費者の国になったと改めて思います。自立した社会や文化を生み出し育てることへの熱意も関心もなくなっている。演劇の世界にも及んでいて、みんな内向き志向。何かにチャレンジする表現者が減っています。

 若い人には、もっと世界に目を向けて新たな発信を目指してほしい。今のままでは衰退すると危機感を覚えます。

さかて・ようじ
 1962年岡山市生まれ。岡山芳泉高から慶応大卒。83年に劇団「燐光群」旗揚げ。社会性のあるテーマをジャーナリスティックな鋭い切り口で描いて高く評価され、岸田國士戯曲賞や紀伊國屋演劇賞個人賞など多数受賞。海外でも活躍。2006年から16年まで日本劇作家協会会長。主な作品に「ブレスレス」「天皇と接吻」「屋根裏」など。

(2024年1月10日朝刊掲載)

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