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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説主幹 岩崎誠 平和ミュージアムのこれから

「対話し、考える」工夫も要る

 京都市の立命館大国際平和ミュージアムを年末に久しぶりに訪れた。1992年の開館から30年余り、日本を代表する平和博物館の一つは昨年9月の全面リニューアルに際し、さまざまに新しい試みを取り入れたと聞いていた。

 キャンパス近くの建物にある施設は地下の広い空間で戦争と平和を幅広く伝え、大学の平和発信の場としては、もとより他の追随を許さない。館長で同大国際関係学部の君島東彦(あきひこ)教授に案内してもらい、今後の継承に欠かせない視点の具体化にまず、感じ入った。

 若い世代に自らの問題としてどう考えてもらうか、である。「平和を築くために、私たちに何ができるのだろう」。入り口に立つと映像が次々に問う。「どうして人は傷つけ合うの?」「軍隊や兵器は必要なの?」「戦争のない世界が平和なの?」「あなたにとって『平和』とはなんですか?」

 「14歳が分かる」を心がけた展示も見応えがある。帝国主義の象徴である1840年のアヘン戦争から2022年のウクライナの戦争まで、世界と日本の負の歴史を70メートルの展示で年を追って学べる。

 日本の植民地支配や対外戦争に伴う戦時体制、広島と長崎への原爆投下を経た無条件降伏まで。それらと同じスペースを大戦後の世界の歩みに充てるのも特色だ。朝鮮戦争、ベトナム戦争をはじめ絶えることのない戦火に加え、人権・貧困を含む平和構築の試みも地球規模の視点で伝える。その中で中国における日本の加害や沖縄の戦場体験、空襲被害への補償を国に求めた訴訟の原告の訴え、ウガンダ内戦で「子ども兵士」として戦わされた男性など国内外の生の証言を交えていく―。

 従来の展示は満州事変から敗戦までの「十五年戦争」の実態が柱だった。君島館長の言葉に膝を打った。「21世紀生まれの来館者は1945年について話しても、もう分かってもらえない。45年で思考停止せず、今の世界で起きていることをかつての戦争とつなげて語らなければいけない」。現在に至る世界の戦争を知り、平和憲法がありながら、そこに関わってきた日本の歩みも検証し、問題提起していく必要がある、と。

 その狙いを象徴的に示すのが展示の真ん中の「核模擬爆弾」だろう。沖縄・伊江島でベトナム戦争さなか、米軍が核使用の訓練をした現物は核の脅威が戦後も日本列島を覆っていたことを物語る。

 君島館長は一方で「考えは押しつけない」とも言う。展示と対話し、それを通じて戦没者たちと対話し、そして来館者同士で対話して自分たちで考えてもらう。その場を提供するのが何よりの役割なのだという。展示の最後に、輪になって自由に意見を交わせる空間「問いかけひろば」も設けた。

 この施設は市民レベルの京都の戦争展の流れと学徒出陣をはじめ大学の戦争協力への反省を踏まえて開設した。広島・長崎の原爆資料館は「胸を借りるつもりで」手本にしてきたという。今や平和ミュージアムのこれからを考える上で先駆的な存在かもしれない。

 広島の原爆資料館に、思いが至る。「サミット効果」もあって2023年度の入館者は、過去最多の180万人を超える見通しだ。半面、混雑と入館待ちの行列が日常的な風景だった。

 動員学徒の遺品など実物資料に重きを置いた19年の大規模リニューアルでの苦労に頭が下がった。修学旅行生をはじめ、若い世代に伝える努力がなされてきたのも確かだ。ただ人波に押されることなく展示をじっくり見て、立ち止まって思いを巡らせる環境は現実問題として十分なのかどうか。

 「見てもらう」に加え、「考えてもらう」ための工夫は果てしなく続けるべきだろう。京都の挑戦的な試みに接し、率直に思う。

(2024年1月11日朝刊掲載)

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