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教育勅語「民主主義的な発想も」は本当? 広島大・石田雅春准教授に聞く

広島市長の職員研修資料 本来解釈から逸脱

 広島市の松井一実市長が就任翌年の2012年度から毎年、新規採用職員向けの研修資料に「教育勅語」の一部を引用していることが明らかになり、被爆者団体や平和団体が抗議している。市長は「実は民主主義的な発想の言葉が並んでいる」との見解を示すが、実際はどうなのか。近現代教育史が専門の石田雅春・広島大文書館准教授に聞いた。(新山京子)

  ―教育勅語に民主主義の考えはありますか。
 現代の日本における民主主義、つまり国民主権という一般的な理解に立つならば、民主主義的な考えがあるというのは明らかに間違っている。戦前の国家体制でも帝国議会は開設されたが、「主権在君」の制約の下での仕組み。正確に言えば立憲君主制の考えだ。

  ―戦前の広島ではどう使われたのですか。
 広島に限らず全国で、当時の道徳教育「修身」の基準とされた。初等教育で言えば1891(明治24)年に「小学校教則大綱」が制定され、教育勅語に基づいて「修身」教育を行うと規定された。当時の教科書には全文が掲載されている。

  ―子どもが教育勅語に触れるのは、修身の授業だけでしたか。
 いいえ。「天長節(天皇誕生日)」などの祝日・大祭日に学校で儀式が行われるようになった。校長が教育勅語の奉読や訓示をし、教職員や子ども、地域住民も参集した。各学校は、当時の文部省(現文部科学省)から配布された教育勅語の謄本を「御真影(天皇・皇后の写真)」と共に神聖なものとして扱った。昭和初年には、各学校に謄本と御真影を納める「奉安殿」の建設が進められた。

  ―神聖化され軍国主義教育と結び付いたのですね。
 子どもたちは登下校で奉安殿の前を通るとき、服装や姿勢を正して最敬礼した。広島でも、昭和10年代に撮影された写真が、現在の広瀬小(現中区)で奉安殿に深くおじぎする児童の姿を記録している。校長の奉読を「咳(せき)一つすることなく、不動の姿勢で拝聴」「暗唱した」といった広島の子どもの証言や手記も残る。

  ―敗戦後はどう位置づけられましたか。
 「天皇の人間宣言」として知られる「年頭の詔書」を受けて文部省は、天皇の神格を前提とした教育勅語を唯一の教育の淵源とする考えを放棄するよう通知した。広島でも1945年中に御真影が回収され、奉安殿の撤去も進められた。国会では48年、衆院が排除を、参院が失効を決議した。

  ―教育勅語を肯定する動きが度々起こります。
 最近の肯定論には恣意(しい)的な解釈が多く見受けられる。「民主主義的な発想」が入っているとの説明は、教育勅語の本来の意味を知らない人の誤解釈を基にしていると思われる。戦前に教育勅語の公式解説書とされた「勅語衍義(えんぎ)」にある本来の解釈からも逸脱している。

 市の研修資料で引用されているのは、具体的な徳目(道徳の項目)として「兄弟ニ友ニ」「博愛衆ニ及ホシ」「学ヲ修メ」などを説く部分。だがこれらは、研修資料にはない「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」(そうして天と地とともに無限に続く皇室の運命を翼賛すべき)という後ろの文にかかっている。「勅語衍義」によると徳目の実践は「皇運ヲ扶翼」するものだけが正しい行為とされる。

  ―松井市長は引用を続ける考えです。
 例えば「兄弟ニ友ニ」は封建的で固定的な上下関係、主従関係を前提とし、現代の対等な個人が仲良くするのとは異なる。「学ヲ修メ」も国家の役に立たない勉強、研究は無価値ということになる。原典に忠実な解釈こそが議論の基礎だ。本来の解釈を理解した上で再考してもらいたい。

いしだ・まさはる
 1976年生まれ。2005年広島大大学院文学研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、広島大文書館助教を経て16年より現職。著書に「戦後日本の教科書問題」。東広島市在住。

教育勅語
 明治天皇の名で1890年に発布された。国民道徳の根源や教育の基本理念を明示。天皇の家臣である「臣民」としての国民の忠孝を「国体の精華」とたたえ、父母への孝行、夫婦の和、博愛、義勇奉公などの徳目を記した。神聖化され、昭和期の軍国主義教育と結び付いた。正式名称は「教育ニ関スル勅語」。敗戦後、衆参両院が排除、失効を決議した。

断片から「意見」に直行する危うさ

 昨年話題となった本に「検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?」(岩波ブックレット)がある。なぜ「ナチスは良いこともした」という議論がネット上などで度々起こるのか、歴史学者2人が実証主義で迫る。「良いこと」がどんな目的でなされ、本当に「良い」結果につながったのか―。「事実」の断片から「意見」に直行する危うさを戒め、歴史の文脈や全体像を踏まえた「解釈」の必要性を説く。

 広島市のケースも、この「良いことも―」との言説に近いのではないか。研修の中で教育勅語の一部を引用。「生きていく上での心の持ち方」として、「先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、また、後輩に繋(つな)ぐ事が重要」とする。松井市長はその後「評価する部分はある」「物事の評価を多面的に考えるための実例」とも述べている。

 字面だけなら「良いこと」に見える向きもあろう。だが誤った解釈に基づいているのは石田氏が指摘する通りだ。

 教育勅語は大日本帝国憲法の下、天皇を中心とする国家総動員体制に国民を組み込む役割を担った。神聖化され、子どもたちの心にまで浸透した。その戦争を「終わらせるため」と米国が主張する原爆によって広島では、あまたの命が奪われた。奉安殿にこうべを垂れ、「お国のため」と市中心部へ出ていた動員学徒も含まれる。

 普遍的な公務員の心構えや物事を多面的に考える大切さを説くのに、なぜあえて「教育勅語」なのか。いま、被爆地広島の歴史との向き合い方が問われている。(森田裕美)

(2024年1月15日朝刊掲載)

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