偽報告 華僑助命した将校 日本軍、多数虐殺のシンガポール 「処刑した」と釈放
24年1月14日
研究者「市川隊長」情報募集
太平洋戦争初期の1942年、侵攻先のシンガポールで中国系住民を「敵性華僑」として多数虐殺した日本軍の中に、偽の処刑報告書を作って一部の住民を釈放した将校がいた。広島市を拠点とした旧陸軍第5師団歩兵第11連隊の第3大隊長だった市川正少佐とされ、命が助かった住民の遺族の存在も最近分かったという。華僑虐殺に詳しい琉球大名誉教授の高嶋伸欣(のぶよし)さん(81)=東京=が、2月の現地訪問を前に市川隊長の情報を募っている。(編集委員・道面雅量)
同連隊史などによると、日本軍はシンガポールを陥落させた直後の42年2月21日、「治安粛清」のため警備隊を編成。陥落戦で華僑義勇軍の抵抗に遭ったことなどを理由に、島内の18~50歳の華僑男性に集合を命じ、敵対行為の検証も経ずに処刑した。高嶋さんによると、華僑を敵視した日本軍による虐殺は、シンガポールに近接するマレー半島各地でも繰り返され、「犠牲者は数千~数万人の範囲で論争がある」という。
市川少佐率いる第3大隊もこの警備隊に組み入れられていた。戦後、連合国軍側による戦犯裁判では市川さんもシンガポールの法廷に呼び出され「敵性華僑11人を引き渡され、処刑した」とする同隊の報告書が取り扱われたが、市川さんは「処刑したことにして内密に釈放した」と主張。調査で生存者が名乗り出て、無罪となって釈放された。
市川さんは「どう見ても普通の住民だった。このような弾圧をしていては今後、住民の協力が得られなくなる。副官たちと相談して偽の報告をした」と部隊の同僚に語ったという。
現地で戦争の傷痕を調査するツアーを仲間と50回近く重ねてきた高嶋さんは昨年8月、「母方の祖父が市川隊長に釈放された一人」というガイドに出会った。菫明雄(タン・ベンヨン)さんという50代の男性で、「可能なら、市川隊長ゆかりの人と交流したい」と話しているという。
高嶋さんは約30年前に市川さんの家族と手紙でやりとりしたが、今は消息をつかめていない。菫さんの証言を聞くプログラムもある2月15~18日の次回ツアーに向け、市川さんや家族、知人についての情報を募っている。「市川隊長がなぜああした行動を取れたのか、より詳しい情報を基に考えたい。華僑虐殺を免責するためではなく、戦争の悲劇を繰り返さないために」と話す。高嶋さん☎080(1140)1722。
(2024年1月14日朝刊掲載)