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[西日本新聞から] 米での証言活動に手応え 長崎県被爆者手帳友の会が報告会

生徒に紙芝居「存在知ってもらえた」

 核兵器廃絶への機運を高めるため、米国3都市を巡って被爆証言に取り組んだ「長崎県被爆者手帳友の会」の会員らが長崎原爆資料館で報告会を開いた。団長を務めた朝長万左男会長(80)は「参加した米国市民の多くが核廃絶に賛同してくれたことは、最大の成果だ」と述べた。(竹添そら)

 被爆者の体験や思いを世界中の人々に直接語る「ヒバクシャ・ミライ・プロジェクト」の第1弾。被爆者と2世、3世ら10人が昨年11月6~20日、ノースカロライナ州ローリー、イリノイ州シカゴ、オレゴン州ポートランドの学校や教会などを訪問した。

 被爆者の宮田隆さん(84)は「うれしかったのは、学生が話を聞いて涙を流していたこと。もう戦争はやめなくてはいけないと、あらためて感じた」と振り返った。朝長会長は「今後も取り組みを続けることで、米国各地で市民レベルの運動が発生し、核廃絶への動きが活性化すると期待している」と話した。

 県被爆者手帳友の会副会長の三田村静子さん(82)は、手作りの紙芝居で被爆がもたらす現実を伝えた。その身を突き動かすのは「誰にも私と同じ思いをしてほしくない」という強い願いだ。

 約40年前から紙芝居で「8月9日」を伝える活動を続けてきた。渡米に際し、約20作品の中から選んだのは自身を題材にしたものだった。原爆投下直後に強い光と衝撃を感じたことや、放射線による下痢や発熱に数カ月悩まされたこと。姉やめい、最愛の娘を相次いでがんで亡くし、自身も発病と手術を繰り返した戦後の苦しみを描き、反戦の願いを込めた作品だ。

 現地の高校を訪れたときのことだ。「何か質問はありますか」。会場に目を向ける余裕もなく紙芝居を終えて顔を上げると、生徒たちは一様に困惑の表情を浮かべ、沈黙していた。

 「気持ちが伝わらんかったとやろか…」。不安な思いを抱えたまま講演会は終わった。数人の生徒が一斉に駆け寄ってきて、「原爆でこんなに長い間、病気になるなんて知らなかった」と、熱心な表情で訴えた。

 口をつぐんでいたのは、教科書でも学ばなかった残酷な事実に言葉が見つからなかったからだった。中には、そばに来て声もなく涙する生徒やハグを求めてくる子どももいた。その姿に、日本の戦争加害の歴史を目の当たりにして何も言えなかった、かつての自分が重なったという。「私たち被爆者の存在を知ってもらえて良かった」

(西日本新聞朝刊掲載)

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