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連載・特集

『生きて』 広島東洋カープ元選手・監督 山本浩二さん(1946年~) <1> 本名「浩司」

1975年に「改名」 初優勝

 広島東洋カープで4番打者を務め、「ミスター赤ヘル」と呼ばれた。コンバットマーチに乗って、かっ飛ばした本塁打は歴代4位の536本。山本浩二さん(77)は選手、監督で優勝を6度飾り、今もカープの象徴的な存在だ。「仲間と良きライバル、怖い指導者に恵まれた」という野球人生を大いに語る。

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  ≪本名は山本浩司≫
 浩二は野球の登録名で、戸籍は浩司。1974年のオフにファンクラブをつくってくれた親友に姓名判断を勧められてね。見てもらったら「山本の姓には浩司より浩二の方が画数の関係で勝負事に向いている」と言われ、75年に登録名を変えた。そしたら初優勝して首位打者とMVP…。それ以来、引退後もそのまま。プロ入りの時は、おやじが大学に休学届を出したんだけど、あれもそのままだなあ。

  ≪背番号8は永久欠番。ここ一番の一発でファンを魅了した≫
 本塁打は投手と駆け引きした結果で、狙ったとか、誰かのためにというのはないね。こつもないよ。30歳を超えて量産できたのは、ここに球が来たらこう打つと、バットを振り込んだ体が覚えていったから。印象深い本塁打は三つあるんだけど、そこはおいおいな。

  ≪2019年にがんを患う≫
 最初はぼうこうに見つかり、その時の検査で肺にもね。「進行性が早い」と言われて、すぐに肺を手術。それから2週間でまた手術。ぼうこうは2カ月置いて全摘だった。1年で4回手術して、肺は一つ取ったから動くと今も息切れするよ。

 幸い転移じゃなかったし、コロナ禍の前で(野村)謙二郎がしょっちゅう見舞いに来てくれた。今は散歩が日課で、ゴルフもちょくちょく。20キロぐらい落ちた体重も10キロ以上戻ったね。ここまで回復して担当医には「体力があった」と言ってもらった。野球で鍛えられたおかげだよ。(この連載は特別編集委員・木村雅俊が担当します)

(2024年1月16日朝刊掲載)

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