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社説・コラム

[A Book for Peace 森田裕美 この一冊] 「銃口」㊤㊦ 三浦綾子著(小学館)

戦争に向かう時代の空気

 30年前に刊行された三浦綾子さんのベストセラー小説は、「新しい戦前」との言葉が危機感を持って語られる今こそ、読まれるべき大作である。

 児童にありのままを書かせるのは「共産主義」だとして50人を超える教員が治安維持法違反の容疑で捕らわれた「北海道綴方(つづりかた)教育連盟事件」(1940~41年)を題材に、日本が戦争に突き進んだ「昭和」という時代を描いた大河小説。実際の思想弾圧事件が本書の軸だが、全体からあぶり出されるのは戦時下の空気とそれに流されてしまう人間の罪深さだ。

 物語は、主人公竜太が大正天皇の大葬を経験した小学3年時から始まる。綴方(作文)に「悲しい」とせず、「足袋が雪にぬれて、足が冷たかった」と書き、担任に𠮟られる。4年生では教育勅語を覚え、御真影と共に納められた奉安殿に尻を向けぬよう習う。

 教育の場が皇国思想や軍国主義に染まっていく中でも自由で人間的な先生と出会った竜太は、やがて教師に。ところが「事件」に巻き込まれ勾留の末、教職を失う。召集、敗戦、引き揚げ…。戦争の不条理を生き抜き、教師に復帰。70代で昭和の終わりを迎える。竜太は言う。「本当に終ったと言えるのかなあ。いろんなことが尾を引いているようでねえ」。見えない戦争の影を暗示し、物語は幕を閉じる。

 竜太と同じく戦中教壇に立った三浦さん。何の疑いも持たずに軍国主義教育を担った痛切な悔恨から、病をおして本作を完成させたという。

 タイトルの「銃口」は、人間の自由を奪い、息の根を止める危険の象徴だろう。見えない「銃口」に敏感でありたい。

これも!

①三浦綾子著「石ころのうた」(角川文庫)
②佐竹直子著「獄中メモは問う 作文教育が罪にされた時代」(北海道新聞社)

(2024年1月22日朝刊掲載)

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