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連載・特集

『生きて』 広島東洋カープ元選手・監督 山本浩二さん(1946年~) <7> 野球談議

嫌々学んだ打撃の極意

 ベテランになってからは飲みに行ってばかりだったけど、20代の頃は本当に野球漬け。怖いコーチがいたし、何より山本一義さんに強い影響を受けたね。広島出身だし、わしにとってはスーパースターなんだけど、もうひたすらに鍛えられた。

  ≪シーズン中は遠征先の旅館で夜間練習が続いた≫

 試合後は食事の後、コーチに集められて大広間で素振りをして、その後、一義さんと山内一弘さんの野球談議が始まる。この2人、野球が好きで好きで。そのまま、キヌ(衣笠祥雄)とか、わしが部屋に呼ばれるわけ。バットを手にここはこう打つんやと。でもすぐにできるわけでもないし、しかも話が長いのよ。これがほとんど毎日だから、嫌で嫌で仕方なかったなあ。でも今から思えば、2人のおかげ。本当にいろんなことを教えてもらった。

 例えば内角打ち。山内理論を聞くわけよ。説明するのは難しいんだけど、内角球にはグリップエンドを早く出し、腰を回転させて脇を開けずにヘッドを利かせれば、詰まり気味でも左翼にぎりぎり本塁打やと。それは若い頃、全く分からなかった。

 ≪2年目のオフに大学時代から付き合う鏡子さんと結婚。自宅でもスイングを重ねた≫

 一義さんがやっていたと聞いてまねした。広島での試合後は家で飯食った後に、最初は丸めた新聞紙。次は台所のスポンジを四角に切って、女房に目の前から投げてもらって打つ。それなら万が一、当たっても痛くないやろ。するとね、2人から聞いて、全く分からんかった打ち方が徐々にできるようになるのよ。これかなって感じで。

 1976年のシーズンだったか、腰痛でまともにバットが振れない時、外角は捨てて内角だけを待ったのよ。それをたまたまポーンと払って打ったらホームラン。これが山内さんが言う内角の打ち方かと。あれから内角が楽になった。本塁打が増えた要因の一つなのよ。

(2024年1月25日朝刊掲載)

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