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キース・ヘリング 幻の壁画 山梨の学芸員ら 証言や資料探す

80年代に広島訪問「涙が止まらない」

 1980年代、米アート界のスーパースターで反戦・反核などを訴える社会活動家でもあったキース・ヘリング。亡くなる前々年の30歳のとき、広島市を訪れ、壁画を描こうとしていた。完成していれば、どんな絵だったのか―。中村キース・へリング美術館(山梨県)の学芸員ら3人が広島市を訪れ、証言や資料探しに乗り出している。(西村文)

 ヘリングは88年7月28日から2日間、広島市に滞在。同年8月に広島市で開催された「平和コンサート」のポスターデザインを手がけたことが、訪問のきっかけだったとみられる。

 「私は涙が止まりませんでした」。ヘリングの残した日記には、原爆資料館の展示に大きなショックを受けたことがつづられている。原爆ドームから川の対岸にある本川小を見て、壁画を構想したことも記されていた。

 学芸員たちは昨年から広島市を数回訪問。ヘリングが広島で行った場所や会った人々を訪ねて回り、調査を進めてきた。「広島で彼が何を感じ、何を残そうとしていたのかを探りたい」と田中今子学芸員。中村キース・へリング美術館では今年6月から1年間「戦争・平和・自由」をテーマとする展覧会を計画している。「広島での調査結果を柱の一つとして展示を構成したい」と意気込む。

 世界各国を訪れたヘリングは、出会った人々の求めに気軽に応じて、紙切れなどにも絵を描いたという。調査を継続中の田中さんたちは「ささいな目撃情報でもいいので、お寄せいただきたい」と呼びかける。

 さらに今夏、幻となった「壁画」を描くワークショップを広島で開催する計画も立案中だ。壁画は当時、本川小の校舎のほか、建設中だった広島市現代美術館の館内に描くことも検討されたが、ヘリングが間もなく死去したため実現しなかった。「遺志を引き継ぎ、広島の子どもたちと一緒に大きな絵を制作したい」と、協力してくれる学校や団体を募っている。中村キース・へリング美術館☎0551(36)8712。

キース・ヘリング
 1958年、米ペンシルベニア州生まれ。78年、ニューヨークの美術学校に入学。80年、地下鉄構内の広告板に描いた「サブウェイ・ドローイング」で一躍脚光を浴びた。アートを通じ、貧困の解消や同性愛者への差別撤廃、反戦・反核などを訴えた。90年、エイズの合併症により31歳で死去。

中村キース・ヘリング美術館
 2007年、キース・ヘリングを紹介する世界で唯一の美術館として山梨県北杜市小淵沢町に開設。コレクター中村和男さんが所有するヘリング作品約300点のほか、記録写真や映像などを展示する。

(2024年1月27日朝刊掲載)

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