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連載・特集

ぐるっとわがまち 江波 <4> 斜交する道 射的場の名残

 広島市中区の江波エリアを歩くと、斜めに交わる道が多いのに気付く。旧陸軍の射的場があった歴史が関係しているという。江波皿山の麓にあった的から北東方面へV字形の2方向に約1キロ、約500メートルと延びていた。跡地に立つ江波中や、広島電鉄の江波車庫などの広い敷地はその名残だ。

 住民グループ「江波を伝える会」会長の中川巧さん(80)=江波本町=は「戦後5、6年ほどは、大砲や弾丸が突き刺さった的がそのまま放置されていた」と振り返る。近所の年上の子たちは、拾った弾丸を鉄くずを買い取る保安員に売り、駄菓子を買う小遣いにしていたという。

 中川さんは、射的場で使われた弾丸などを詰め込む大小の薬きょうや古い写真を地域の人から託され、大切に保管している。射的場の前身になる広島鎮台の射的練習場ができた明治初期の1877年ごろの写真は、江波中で地域の歴史を教える際に使っている。

 射的場の話をすると、生徒たちは驚きの表情を浮かべ、緊張感に似た雰囲気に包まれるという。射的場だった場所が戦後に学校になった時の流れに触れ、「平和を実感してほしい」と力を込める。(大平健幹)

(2024年1月30日朝刊掲載)

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