市民の力信じ「平和語り」 府中町の滝さん 詩吟・歌交え
24年2月5日
平和を創るのは市民力―。そんな思いから広島県内外に出かけ「平和語り」を続ける人がいる。元高校教師で生涯学習インストラクターの滝和子さん(79)=府中町。詩吟や歌を交えて戦中生まれの自身の半生を語り、平和を考える「場」を提供する。一市民にできる活動を模索し、たどり着いたプロジェクトだ。
〽一本の鉛筆があれば―。広島市東区の福田公民館に滝さんの歌声が響く。1974年の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりが歌った反戦歌を紹介し「語り」を始めた。
愛知県生まれの滝さんは、空襲が続く中、平和への願いを込め、和子と名付けられた。実家の寺は学童疎開を受け入れていた。この日は、戦後史とも重なる歩みを、社会情勢も踏まえながら独特の調子で口演した。
滝さんは愛知で高校教師として働いた後、結婚で福井へ。育児をしながら地域の文化協会に加わって福井空襲を記録する活動にも携わる。市民が行動する妙味を知った。 91年、夫の仕事で広島に転居。県の「ひろしま女性大学」に学び、生涯学習など社会活動に励んだが、被爆地での平和運動には「よそ者に何ができるか」とためらいがあったと振り返る。
転機は2011年。東京電力福島第1原発事故で核の危険を目の当たりにし、じっとしておれずヒロシマと向き合うように。生涯学習などで公民館を回りながら「有名人でない私が語ることで、聞いた人が『私も』と戦争体験や平和を語り始めるのでは」と思い至り、話法を研究した。
ロシアのウクライナ侵攻で核危機が高まった22年、友人の協力を得て「平和語り」を始め、これまで13カ所を回った。
「語り」の後は参加者と話し合う時間を持つ。滝さんは「友人と話したり新聞に投書したり。私の語りが一人一人の市民の行動につながれば」と願う。 (森田裕美)
(2024年2月5日朝刊掲載)
〽一本の鉛筆があれば―。広島市東区の福田公民館に滝さんの歌声が響く。1974年の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりが歌った反戦歌を紹介し「語り」を始めた。
愛知県生まれの滝さんは、空襲が続く中、平和への願いを込め、和子と名付けられた。実家の寺は学童疎開を受け入れていた。この日は、戦後史とも重なる歩みを、社会情勢も踏まえながら独特の調子で口演した。
滝さんは愛知で高校教師として働いた後、結婚で福井へ。育児をしながら地域の文化協会に加わって福井空襲を記録する活動にも携わる。市民が行動する妙味を知った。 91年、夫の仕事で広島に転居。県の「ひろしま女性大学」に学び、生涯学習など社会活動に励んだが、被爆地での平和運動には「よそ者に何ができるか」とためらいがあったと振り返る。
転機は2011年。東京電力福島第1原発事故で核の危険を目の当たりにし、じっとしておれずヒロシマと向き合うように。生涯学習などで公民館を回りながら「有名人でない私が語ることで、聞いた人が『私も』と戦争体験や平和を語り始めるのでは」と思い至り、話法を研究した。
ロシアのウクライナ侵攻で核危機が高まった22年、友人の協力を得て「平和語り」を始め、これまで13カ所を回った。
「語り」の後は参加者と話し合う時間を持つ。滝さんは「友人と話したり新聞に投書したり。私の語りが一人一人の市民の行動につながれば」と願う。 (森田裕美)
(2024年2月5日朝刊掲載)