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連載・特集

時の碑(いしぶみ) 土田ヒロミ「ヒロシマ・モニュメント」から <7> 広島大旧理学部1号館(広島市中区東千田町1丁目)

被爆の学びや 改築・活用へ

 1980~90年代に東広島市へ統合移転した広島大の本部跡地に残る被爆建物。広島市と広島大、市立大、広島平和文化センターが1月に設立した「ヒロシマ平和研究教育機構」の拠点として活用するため、正面棟の前半分を保存する形で改築されることが決まっている。

 戦前、軍事施設と並んで高等教育機関の多かった「学都」広島を象徴する広島文理科大の本館として31年に完成した。鉄筋3階建て。45年8月6日、原爆で内部は焼失するが、外郭は衝撃に耐えて残った。爆心地から約1・4キロ。同大は東南アジアから「南方特別留学生」も受け入れており、9人のうち、8人が大学構内や近くの寮で被爆。2人が被爆死した。

 重い歴史を刻む校舎は49年、同大をはじめ8校を包括、併合して発足した広島大に受け継がれた。南西の正門から校舎へ一直線につながる道は美しいメタセコイアの並木が彩り、受験生の憧れを誘った。

 写真家の土田ヒロミさん(84)は、校舎の正面ではなく北西つまり爆心地の方角に面した側を撮っている。最初に撮影した79年には現役の理学部校舎だった。駐輪場にひしめく学生たちの自転車が内部の活気を想像させるが、この時点で外壁のタイルが大きく剝がれるなど、傷みは激しい。

 同学部の東広島市移転に伴って閉鎖されたのは91年。被爆建物の保存を訴える声を背に解体は免れたものの、活用は改修費がかさむだけに難航し、市民提案の自然史博物館にする構想などは実現を見なかった。

 大学移転後の跡地に整備された東千田公園の中で、立ち入りを禁じる柵に囲まれたまま、傷みの進む姿を長くさらし続けた。2019年の写真の通りだ。

 跡地再開発は部分的に着手され、高層マンションや商業施設などが完成。大学の一部機能を残した南側の広島大東千田キャンパスには23年度に法学部が東広島市から戻り、「都心回帰」の動きとして注目された。

 この旧校舎が改築で平和研究教育機構の拠点に生まれ変わるのは、30年ごろの見込み。市民団体「原爆遺跡保存運動懇談会」の世話人で元広島大教授の石丸紀興さん(83)は「建物がとりあえず残ったのは運動の成果」と受け止める。「一部保存の工事も決して容易ではない。ヒロシマの学びを世界へ発信する上で、継承と展開の両方を体現した建築にしてほしい」と期待する。(編集委員・道面雅量)

 被爆地広島の姿をカメラで定点記録し、40年の歳月を画像に刻んだ土田ヒロミさんの連作「ヒロシマ・モニュメント」を月1回、2枚組みで紹介しています。次回は3月2日に掲載します。

(2024年2月3日朝刊セレクト掲載)

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