×

連載・特集

『生きて』 広島東洋カープ元選手・監督 山本浩二さん(1946年~) <11> 盟友・衣笠 あの笑顔…

一番の思い出

 キヌ(衣笠祥雄)とは、それまでもしゃべっちゃおるけど、腹を割って話すなんてことはなかった。同い年で、わしが入る前からレギュラーで4番だからライバル視していたのよ。でも1975年のオールスターの後かな。優勝が絡んできて「勝ちたい」「勝つためにどうするか」とお互いに思っていたことを口に出して言うようになった。

 初優勝で抱き合って一気に距離が縮まったよ。その後も勝ちたい、優勝したいから思いを出し合う。すると話が尽きないのよ。自宅が近かったからデーゲームの後は、お互いの家で飯を食うようになったね。

  ≪勝ちたい一心から認め合うライバルに≫

 性格は全く違うよ。打撃の考え方も。キヌはマージャンも賭け事もしない。だけどキヌがいたから、わしは成長できた。骨折しても休まないし、キャンプもずっと練習するから、あいつが終わるまで、やめんぞと。そうするとチーム全体が締まるよな。負けるもんかと。

 ≪生前の衣笠さんは2人の関係をこう語った。「われわれは絶対にけんかしてはならない。二つに分かれて戦えるほど強いチームではなかった。それはお互いに分かっていた」≫

 本当にそう。全くけんかとかなかった。理解し合っていた一方で、負けたくないし、もう一回優勝したい気持ちもある。だから張り合った。わしらの通算成績はよく似とるやろ。

 ≪山本浩二 2339安打、536本塁打、1475打点、231盗塁≫

 ≪衣笠祥雄 2543安打、504本塁打、1448打点、266盗塁≫

 84年に、キヌが37歳で打点王とMVPを取った時はさすがだと思ったね。でも一番の思い出は86年に神宮で5度目の優勝を決めて抱き合った時だな。わしは引退を決めていて、左翼から胴上げのマウンドに走っていくと、キヌが輪の外で待っていてくれたんだ。あの笑顔でね。

(2024年2月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ