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連載・特集

『生きて』 広島東洋カープ元選手・監督 山本浩二さん(1946年~) <12> 全盛期

「江川対策」で秘密練習

  ≪1978年に44本で初の本塁打王となる。同年のドラフト会議で江川卓が「空白の一日」を絡めて巨人に入団。79年6月に初対戦した≫

 法政の後輩だし、入団の経緯も生意気やし、打ちのめしたろと思ったよ。でも初めて対戦したら球は速いし、カーブの切れもすごい。あの年は打率1割ぐらいしか打てなかった。その年のオフに番組で対談したら頭のいいやつだし、いずれはエースだろうから、こいつを打たないといかんとね。そこからやね。

 ≪80年春のキャンプで秘密練習≫

 当時は誰にも言わなかったけど、あいつの武器の内角高めの直球を打つ練習をした。バットを短めに持って打撃マシンに3メートル近づき、コンパクトに打つ。ボールなら打たない。癖は分かっていないから三つのストライクのうち、内角高めを待つ一振り勝負。打ち損じたら凡打よ。

 ≪この年は江川から6本塁打を放ち通算14本塁打。江川から最も本塁打を打った打者となる≫

 対戦した投手で、右の一番は江川だね。高めの球はホップしてきたよ。左は江夏豊(阪神)。低めの球が伸びて、ボールだと見逃したら判定はストライクなのよ。豊からは6本塁打か。少ないよな。苦手だったのは小林繁(巨人-阪神)。打てんかった。

 ≪80、81年は本塁打と打点の2冠王で全盛期。チームも79、80年に連続日本一となる≫

 積み重ねと継続。ここに来れば、こういうふうに打つ、右中間や左中間に打球が伸びるという打ち方が身に付いた。ベテランになってからは対応できる投手も増えた。投手の癖や配球を読んで、内角球をさばけるようになり、初球からの一振り勝負はスイングスピードも増して仕留められる確率も高くなった。要はいかに甘い球を確実に打つか。打てて(打率)3割。難しい球は打ててないから。

 タイトルを取った次の年はマークがきつくなるから、それ以上のことをやる。その繰り返しで江川対策が典型例だよ。

(2024年2月7日朝刊掲載)

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