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社説・コラム

『想』 坂手悦子(さかてえつこ) ハンセン病家族の苦悩

 私の勤める邑久光明園はハンセン病療養所です。入所者の平均年齢は88歳、平均入所期間は60年を超えます。多くの方が青少年期にハンセン病を発病し、国の政策によって家族から引き離されて隔離され、治癒した後も長い年月を療養所で過ごしてこられました。家族と躊躇(ちゅうちょ)なく連絡を取り合える方は今なお少数派です。家族が配偶者や子どもたちに入所者の存在を隠しているケースが大変多いのです。

 ある日、入所者の弟さんからこのような電話がありました。

 「今後、一切の連絡をお断りします。姉とは縁を切らせてもらいます」と。なんと冷たいことを言うのだろうと、やるせない気持ちで話を聞いていると、次のように続けました。

 「私は息子に、ハンセン病療養所にいる姉の存在を隠しています。ハンセン病に対する偏見差別はいまだに根強いです。息子に偏見差別の荷を負わせたくない。もし私が姉より先に死んで、療養所からの連絡を息子が受けてしまったら…と想像するだけで怖いのです。だから、今のうちに縁を切らせてもらいます。でも、今でも姉のことを思わない日はないです」と。

 「縁を切る」と告げながらも「姉のことを思わない日はない」とおっしゃったことに衝撃を受けました。姉を思い続ける一方で、その姉の存在を隠し、息子を偏見差別から必死で守ろうとしてきた苦悩が伝わってきました。ご家族もまた、ハンセン病差別に追い詰められてきた被害者なのです。

 2019年、裁判でハンセン病元患者の家族も間違った政策の被害者であることが認められました。苦難を強いられてきたご家族に対し、国は補償金を支給していますが、請求件数は予想以上に伸び悩んでいると聞きます。先の弟さんのように秘密を抱える人にとっては、請求手続きそのものが大きなハードルになっています。深刻な被害を感じてきた人たちほど、補償金を請求しにくいという皮肉。ハンセン病問題は終わっていない、そう痛感しています。 (国立療養所邑久光明園ソーシャルワーカー)

(2024年2月7日朝刊セレクト掲載)

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