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連載・特集

『生きて』 広島東洋カープ元選手・監督 山本浩二さん(1946年~) <13> 内角攻め

打席で腰引けたら負け

≪左足をアウトステップしながら左肩と左膝は開かない打撃フォームが確立した≫

 打席では常に死球の怖さがあったよ。若い頃は左足を真っすぐ出していたけど、内角を突かれると怖いから体が開く。それが頭に当たる恐怖感や内角打ちの練習で、アウトステップになっていった。外角にボールがくるだろうという読みをやってもステップは一緒。左肩が開いたら打てないから、左膝と左肩はものすごく気を付けたし、アウトステップはバットが届く範囲でやっていた。

 ≪内角攻めは4番の宿命。1980年7月のヤクルト戦で頭部死球を受ける≫

 頭には全部で5回ぐらい当たったかな。80年は開幕からめちゃめちゃ調子が良かった。あの日は4打席連続で歩かされた後の5打席目。全部内角に投げてきて、くそボールを体を開きまくって打ったら左翼ポールぎりぎりのファウル。その次の球が頭にきた。ヘルメットが吹っ飛んで、ひっくり返った上で両チームが大乱闘よ。あの頃はお互いにけんか腰だから。幸い翌日に復帰できたけどな。

 ≪敬遠にもプライドと駆け引きがある時代だった≫

 歩かすなら普通、外に投げるやろ。でもあの時代は内角にくる。いつだったか、中日戦でセン(星野仙一)が投げてて、終盤に一塁が空いてる状態でわしに回ってきた。コーチから敬遠の指示が出たんだろう。「嫌じゃ」と拒むセンの声がマウンドから聞こえてくるのよ。説得して戻ってきた捕手の木俣(達彦)さんが「気を付けろ。内角にくるぞ」と。すると4球全部内角。それで敬遠よ。

 投手によっては打者をのけぞらせ、怖がらせる。それこそ当ててもいい感じの投球をしてきてたよ。センにも何度、ひっくり返されたことか。でも決してぶつけてはこない。それも駆け引きの一つで、そこで腰が引けたら外角は打てなくなる。精神的な勝負がすごく大きいのよ。

(2024年2月8日朝刊掲載)

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