ヒロシマ 指揮棒に思い 小澤征爾さん死去 犠牲者へ心寄せ
24年2月10日
ヒロシマへの思いを指揮棒に込め、巨匠は世界に発信した―。6日に88歳で死去した小澤征爾さんは原爆犠牲者に心を寄せ、広島市を度々訪れた。(西村文)
被爆40年の1985年8月6日、バーンスタインが指揮した「広島平和コンサート」に訪れた時のエピソードは音楽ファンの間で語り継がれる。早朝、母校・成城学園中高OBのコーラス団を率いて平和記念公園に姿を現し、バーンスタインとともに鎮魂歌「めぐり来る原爆の日に」を合唱した。
このコンサートで世界初演された「広島レクイエム」に心打たれた小澤さん。わずか4カ月後、自らが率いるボストン交響楽団による米国初演を実現させた。
「原爆犠牲者の魂が天へと昇っていく情景が素晴らしいタクトによって描き出された。世界各国で演奏されるきっかけをつくっていただいた」。作曲者で東京音楽大客員教授の糀場(こうじば)富美子さん(71)=広島市出身=は悼む。「楽譜を深く読み込んでおられた。世界的指揮者なのに、おごったところのない謙虚な方だった」と人柄をしのんだ。
翌86年に同交響楽団を指揮し広島公演をした際には、楽団員とその家族を平和記念公園に引率。観客から贈られた千羽鶴を胸に、「広島を訪れたことをプラスにして、世界中に反核を訴え続けたい」と熱く語った。
くしくも今年4月、広島交響楽団の新たな音楽監督に就任するクリスティアン・アルミンクさんは、小澤さんのまな弟子の一人。平和を願うタクトを受け継ぐ。
(2024年2月10日朝刊掲載)
被爆40年の1985年8月6日、バーンスタインが指揮した「広島平和コンサート」に訪れた時のエピソードは音楽ファンの間で語り継がれる。早朝、母校・成城学園中高OBのコーラス団を率いて平和記念公園に姿を現し、バーンスタインとともに鎮魂歌「めぐり来る原爆の日に」を合唱した。
このコンサートで世界初演された「広島レクイエム」に心打たれた小澤さん。わずか4カ月後、自らが率いるボストン交響楽団による米国初演を実現させた。
「原爆犠牲者の魂が天へと昇っていく情景が素晴らしいタクトによって描き出された。世界各国で演奏されるきっかけをつくっていただいた」。作曲者で東京音楽大客員教授の糀場(こうじば)富美子さん(71)=広島市出身=は悼む。「楽譜を深く読み込んでおられた。世界的指揮者なのに、おごったところのない謙虚な方だった」と人柄をしのんだ。
翌86年に同交響楽団を指揮し広島公演をした際には、楽団員とその家族を平和記念公園に引率。観客から贈られた千羽鶴を胸に、「広島を訪れたことをプラスにして、世界中に反核を訴え続けたい」と熱く語った。
くしくも今年4月、広島交響楽団の新たな音楽監督に就任するクリスティアン・アルミンクさんは、小澤さんのまな弟子の一人。平和を願うタクトを受け継ぐ。
(2024年2月10日朝刊掲載)