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連載・特集

『生きて』 広島東洋カープ元選手・監督 山本浩二さん(1946年~) <15> 腰痛

プライド懸けた逆転弾

  ≪1982年、夏場に左太ももを痛めて30本塁打。40本塁打が5年連続で途切れる≫

 腰痛と体力的な衰え、昔の人工芝の硬さは体にすごい負担がきてたのよ。関東の球場は全部人工芝で腰や膝、関節の痛さが全然違う。それが蓄積され、年齢と共に体の切れもなくなる。体力でカバーできる年齢を超えると、数字も落ちてくるわな。

 若い頃から年に1回、腰痛で休む時期があった。その克服のため、初優勝以降はキャンプからシーズン終了まで毎晩、腹筋を100回。酔っていても必ずやっていた。予防で試合の朝や遠征の前日に大分や大阪、東京の整体にも通った。自転車のチューブを腰に巻いてスイングしたり、球団の運搬車の荷台に寝て移動したり。それでもテーピングは欠かせなかったし、痛み止めを飲んでばっかりだった。

 ≪腰痛で不振に陥り、83年8月に連続試合出場が872で途切れる。84年は6月に8年ぶりの5番、8月に11年ぶりの6番降格≫

 84年は5月に2千安打を打ったのに、なかなか調子が上がらなかった。8月の巨人戦では西本聖に1死三塁で5番の長内孝を敬遠して勝負を挑まれた。前打者の敬遠は初めてよ。それまでの3打席はシュートで抑えられたから、それを狙った。でも調子も感覚も取り戻してないから勝ち越し3ランなのに、ものすごい全力で走ったよ。

 ≪直後の大洋3連戦は古葉竹識監督の判断で全て欠場≫

 内田(順三)コーチから「今日は休み」と。次の日もその次の日も。「おいおい」ってなるじゃない。古葉さんは何も説明してくれないから、1週間ぐらい話をせんかったなあ。

 ≪スタメン復帰後、33試合で13本塁打。10月4日の大洋戦で優勝に導く逆転3ランを放つ≫

 忘れられない一発だね。わしにもプライドがあるから「見とけよ」となるじゃない。後に古葉さんから「勝負どころの時のために休ませた」と聞いた。見事に操縦術に乗せられたよ。

(2024年2月14日朝刊掲載)

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