『生きて』 広島東洋カープ元選手・監督 山本浩二さん(1946年~) <15> 腰痛
24年2月14日
ght:bold;">プライド懸けた逆転弾
腰痛と体力的な衰え、昔の人工芝の硬さは体にすごい負担がきてたのよ。関東の球場は全部人工芝で腰や膝、関節の痛さが全然違う。それが蓄積され、年齢と共に体の切れもなくなる。体力でカバーできる年齢を超えると、数字も落ちてくるわな。
若い頃から年に1回、腰痛で休む時期があった。その克服のため、初優勝以降はキャンプからシーズン終了まで毎晩、腹筋を100回。酔っていても必ずやっていた。予防で試合の朝や遠征の前日に大分や大阪、東京の整体にも通った。自転車のチューブを腰に巻いてスイングしたり、球団の運搬車の荷台に寝て移動したり。それでもテーピングは欠かせなかったし、痛み止めを飲んでばっかりだった。
84年は5月に2千安打を打ったのに、なかなか調子が上がらなかった。8月の巨人戦では西本聖に1死三塁で5番の長内孝を敬遠して勝負を挑まれた。前打者の敬遠は初めてよ。それまでの3打席はシュートで抑えられたから、それを狙った。でも調子も感覚も取り戻してないから勝ち越し3ランなのに、ものすごい全力で走ったよ。
内田(順三)コーチから「今日は休み」と。次の日もその次の日も。「おいおい」ってなるじゃない。古葉さんは何も説明してくれないから、1週間ぐらい話をせんかったなあ。
忘れられない一発だね。わしにもプライドがあるから「見とけよ」となるじゃない。後に古葉さんから「勝負どころの時のために休ませた」と聞いた。見事に操縦術に乗せられたよ。
(2024年2月14日朝刊掲載)