おなかの子 知らぬまま被爆死 資料館元館長父の遺品 7年ぶり常設展示
24年2月17日
原爆資料館(広島市中区)の元館長で、胎内被爆者の畑口実さん(77)=廿日市市=が寄贈した父の遺品2点が16日、7年ぶりに資料館の常設展示に加わった。畑口さんが母のおなかにいたのを知らずに31歳の若さで被爆死しており、「父の無念さや家族の寂しさを感じてほしい」と願う。
鎖付きの懐中時計は短針が8時を指したまま文字盤に焼き付き、長針はない。もう一つは「全鉄道通信競技会」に参加してもらったベルトのバックルでさびついている。
いずれも原爆投下時に爆心地から1・8キロの広島鉄道局で勤務中だった父二郎さんが身に着けていた。4日後、母チエノさん(2016年に99歳で死去)が焼け跡で見つけ、そばの骨とともに持ち帰ったという。
畑口さんは1997年から9年間、資料館長を務めた。就任後、墓に納めていた父の遺品を取り出し、海外での原爆展や資料館で紹介。05年から17年までは本館で常設展示され、多くの入館者の目に触れてきた。
再び展示されることになり、畑口さんは「遺品には言葉以上に訴える力がある。私が証言を続けられるうちに、実物を見てほしい」と話す。
資料館は本館に常設展示する被爆資料など約500点の一部を年1回入れ替えている。この日は、畑口さんが寄贈した遺品のほか、被爆死した男性が自宅で息を引き取った際に使っていた枕など計74点を公開した。(宮野史康)
(2024年2月17日朝刊掲載)
鎖付きの懐中時計は短針が8時を指したまま文字盤に焼き付き、長針はない。もう一つは「全鉄道通信競技会」に参加してもらったベルトのバックルでさびついている。
いずれも原爆投下時に爆心地から1・8キロの広島鉄道局で勤務中だった父二郎さんが身に着けていた。4日後、母チエノさん(2016年に99歳で死去)が焼け跡で見つけ、そばの骨とともに持ち帰ったという。
畑口さんは1997年から9年間、資料館長を務めた。就任後、墓に納めていた父の遺品を取り出し、海外での原爆展や資料館で紹介。05年から17年までは本館で常設展示され、多くの入館者の目に触れてきた。
再び展示されることになり、畑口さんは「遺品には言葉以上に訴える力がある。私が証言を続けられるうちに、実物を見てほしい」と話す。
資料館は本館に常設展示する被爆資料など約500点の一部を年1回入れ替えている。この日は、畑口さんが寄贈した遺品のほか、被爆死した男性が自宅で息を引き取った際に使っていた枕など計74点を公開した。(宮野史康)
(2024年2月17日朝刊掲載)