『生きて』 広島東洋カープ元選手・監督 山本浩二さん(1946年~) <19> 2度目の監督
24年2月21日
<div style="font-size:106%;font-weight:bold;">FAや筋トレ…転換期</div><br>
<strong>≪2度目の監督を務めた2001年から5年連続Bクラス≫</strong><br>
転換期だったと思う。野球は一緒だけど、フリーエージェント(FA)制度ができて、トレーナーの権限も強くなった。
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例えば、選手の調子が悪いとき。体の切れを取り戻すためには走ればいいんだけど、筋力トレーニングに変わった。野球の一番の基本であるランニングを厳しくやれば、下半身が強くなる。昔の考え方かも分からんけど、技術を上げ、根性を植え付けるのは猛練習しかない。そこができなかった。
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<strong>≪4番新井貴浩とエース黒田博樹の育成を図る≫</strong><br>
金本知憲の移籍もあって4番候補の1番手が新井だった。体が強かったし、そこは重点強化で相当な練習をやらしたよ。軸になる選手が欲しかったから。
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4番で打てず、ファンとフェンス越しにもめたことがあったやろ。わしも若い頃に何度やじられたか。でもな、地元の𠮟咤(しった)激励に勝たないとレギュラーにはなれない。やっぱり地元のファンの前で打ちたいし、勝ちたいのよ。新井が頑張れたのは、それが一番だと思うよ。
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<strong>≪05年に黒田が最多勝、新井は本塁打王を獲得した≫</strong><br>
5年で実を結んだよ。やっぱり選手は積み重ね。決してぽっと出てくるわけではない。黒田は先発の勝利にこだわりがあったけど、「タイトルは絶対に取れ」と中継ぎで15勝目を取りにいかせた。タイトルは選手を大きくする。変わるのよ。
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<strong>≪08年に北京五輪日本代表コーチ、13年はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表監督も務めた。今年もテレビでカープ戦を解説する≫</strong><br>
もし(監督の)話があれば今でも受けるよ。日本で12人しかできないわけだから。解説は常に監督目線で淡々と話しているけど、目の前でカープが変な負け方をしてみい。その時はしゃべれんけど、腹の中は…。仕方ないよな、カープファンなんだから。
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(2024年2月21日朝刊掲載)