『生きて』 広島東洋カープ元選手・監督 山本浩二さん(1946年~) <19> 2度目の監督
24年2月21日
ght:bold;">FAや筋トレ…転換期
転換期だったと思う。野球は一緒だけど、フリーエージェント(FA)制度ができて、トレーナーの権限も強くなった。
例えば、選手の調子が悪いとき。体の切れを取り戻すためには走ればいいんだけど、筋力トレーニングに変わった。野球の一番の基本であるランニングを厳しくやれば、下半身が強くなる。昔の考え方かも分からんけど、技術を上げ、根性を植え付けるのは猛練習しかない。そこができなかった。
金本知憲の移籍もあって4番候補の1番手が新井だった。体が強かったし、そこは重点強化で相当な練習をやらしたよ。軸になる選手が欲しかったから。
4番で打てず、ファンとフェンス越しにもめたことがあったやろ。わしも若い頃に何度やじられたか。でもな、地元の𠮟咤(しった)激励に勝たないとレギュラーにはなれない。やっぱり地元のファンの前で打ちたいし、勝ちたいのよ。新井が頑張れたのは、それが一番だと思うよ。
5年で実を結んだよ。やっぱり選手は積み重ね。決してぽっと出てくるわけではない。黒田は先発の勝利にこだわりがあったけど、「タイトルは絶対に取れ」と中継ぎで15勝目を取りにいかせた。タイトルは選手を大きくする。変わるのよ。
もし(監督の)話があれば今でも受けるよ。日本で12人しかできないわけだから。解説は常に監督目線で淡々と話しているけど、目の前でカープが変な負け方をしてみい。その時はしゃべれんけど、腹の中は…。仕方ないよな、カープファンなんだから。
(2024年2月21日朝刊掲載)