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パリの「敵性」日本人に光 広島市出身 藤森晶子さんが新刊 大戦下 国家に左右された人生

 フランスを愛し第2次大戦中も同国にとどまった日本人は1944年8月、連合軍によってパリがナチス・ドイツの占領から解放されると一転、「敵性外国人」となった。行き場をなくした彼らはその後をどう生きたのか―。広島市出身の歴史研究者藤森晶子さん(45)=東京都=が足取りを追い、「パリの『敵性』日本人たち」(写真・岩波書店)にまとめた。歴史のひだに埋もれていた人々に光を当てた渾身(こんしん)の作だ。(森田裕美)

 端緒は藤森さんが大学院生だった20年余り前。調査のため訪れたロンドン帝国戦争博物館で連合軍が撮影した1枚の写真を見つけた。レジスタンス(対独抵抗運動)らしき人に腕をつかまれ連行される白髪の東洋人男性。藤森さんには日本人に見えた。気になりつつも目先の研究に追われ、長く忘れていたという。

 思い出したのは2016年、当時の調査を振り返り、本紙文化面の「緑地帯」を執筆していた時だった。「あのおじさんは誰なのか」。フランスの公文書などを手掛かりに、当時パリに暮らした日本人の追跡を始めた。

 第2次大戦前に渡仏した日本人はその後の国際情勢の緊張に伴い、とどまるか帰国するかの選択を迫られた。在仏日本大使館は帰国を勧告。ドイツによる占領が始まった1940年には芸術家ら多くの日本人がフランスを離れたが、残留者も少なくなかった。43年に巴里日本人会が作った在仏邦人名簿には朝鮮半島出身者を含む224人の名が記されているという。

 当時日本はナチス・ドイツの同盟国。独占領下での日本人の暮らしは配給などでフランス人より恵まれていたそうだ。しかし44年、パリが解放されると立場は逆転。日本人は「枢軸国の一員」として市民に敵意を向けられ、「敵性国出身者」として拘束対象にされた。

 藤森さんは本書で、そんな人々の足跡を、収監された日本人の名簿や調書、残された記録資料を手掛かりに拾い上げた。版画家の長谷川潔ら芸術家をはじめ、外交官、新聞記者、運転手、日本料理店を営む女性らほぼ無名の市井の人まで。激動の時代の中で異国に生きた一人一人の息遣いを浮かび上がらせている。

 藤森さんは資料調査に加え、収容施設が残る現場や遺族ら関係者も取材。本書には、まさに東奔西走した成果が詰まる。ドキュメンタリーの体でまとめているが、写真の東洋人男性に迫る冒険小説のようにも読める。

 だが結局、東洋人男性について消去法で可能性は絞れたものの、特定には至らなかった。それでも「この1枚をきっかけに、ドイツ占領下のフランスに生きた日本人の存在に気づかされた」と藤森さん。大きな歴史の流れの中で見逃されてきた側面に光を当てる意義を見る。「この本に取り上げたのは戦争犯罪人でも英雄でもない普通の人たち。そういう人々も枢軸国の出身者という事実から逃れられず、人生が国家の関係に左右された。そんな歴史にも目を向ける価値はある」

 藤森さんはこれまで「対独協力者」だとして同胞から「丸刈り」にされたフランス女性の戦後を掘り起こすなど、ステレオタイプな歴史観を「個」の視座から読み直すスタイルで研究を続けてきた。今後は広島で被爆した祖母について深めていくつもりだ。

(2024年2月22日朝刊掲載)

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