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社説・コラム

『潮流』 2年間のジレンマ

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から、2年の節目が巡り来る。市民の犠牲は絶えず、600万人が広島を含め世界各地で避難生活を送る。国内のどこにも安全地帯はない―。そう聞くと日本では自然災害を思い起こしがちだが、ウクライナではミサイル攻撃と殺りくという人為である。

 戦闘の長期化を断ち切り、一刻も早く停戦となることを願うばかりだ。ただ、被爆地のジレンマも日々痛感する。

 ロシアは他国の領土を侵略し、プーチン大統領は核兵器使用の脅しに出た。米国と並ぶ世界の核大国である。追い詰められた小国が「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」のとは違う。酌量の余地などない。

 双方に武器を置かせるに至った時、奪った領土全ての返還も、国家指導者の戦争犯罪人としての責任もロシアに負わせないなら、どうなるか。

 被爆地の訴えの根幹は「核抑止力は全否定されるべきもの」だろう。私もそう書いてきた。だがプーチン氏とすれば、核抑止力こそがわが身を助け、侵略の既成事実化に役立ったと痛感するはずだ。

 しかも、戦火はやんでも専制と隷従を拒むウクライナ人への弾圧はやまないだろう。ロシア国内でも反政府活動家ナワリヌイ氏の死を受け、命懸けで追悼の意を表す市民が次々と連行されている。ジャーナリストへの弾圧と暗殺は、はるか以前から。そこにいる誰もが、あすの私たちだ。

 中東では、事実を明かさぬまま核兵器を保有するイスラエルがガザで無差別殺傷に手を染めている。2年間のジレンマを自覚しながら、なおも訴えたい。停戦を。同時に、いかなる核保有国の横暴も、絶対に、例外なく許されないと。

(2024年2月22日朝刊掲載)

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