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連載・特集

広島の避難家族 ウクライナ侵攻2年 <4> 地域と関係希薄 孤独も

関心寄せ支援継続を

 今月上旬、広島市中区の広島YMCA専門学校に日本語を学ぶウクライナ人夫妻の姿があった。夫(57)は21歳の時、病気で視力を失い、教科書は読めない。「耳からしか学べず、なかなか上達しない」と苦笑いする。

 ウクライナ東部ドニプロ近郊に妻(45)と2人で暮らしていた。ロシア軍の侵攻直後は「目の障害もあり、逃げるのは難しい」と諦めていた。2カ月後の2022年4月、親戚の手を借りて出国し、ウクライナ出身の知人がいる日本に来た。

 今は広島市内の公的住宅で生活する。夫は片言の日本語、妻も簡単な日常会話しかできない。そのため、外出先では、スマートフォンに入れた翻訳アプリが頼りだ。

外出先限られる

 母国では白杖(はくじょう)を使ってどこへでも1人で出かけていた。土地勘がない広島では難しい。夫妻の決まった外出先は、YMCAと祇園公民館(安佐南区)の主に2カ所。それぞれ週1回の日本語講座に参加する。視覚障害の人たちの集いに参加したり、留学生や日本人の友人と出かけたりすることもあるが、人とのつながりや行動は限られている。

 最近、妻はベビーシッターの仕事を始めた。不定期で収入はわずか。夫はプロのアコーディオン奏者だった。家計の足しに働きたい気持ちがあっても「つてもない中でどうしたらいいのか…」。

「困り事聞いて」

 ウクライナでは困り事があれば、親戚や友人が駆けつけ、近所づきあいは「心のよりどころ」だった。どこの病院に行ったらいいのか、食材を安く買うことができるスーパーは―。妻は「ちょっとした困り事を誰かに聞いてほしいときがある」とつぶやく。

 YMCA講師の竹原尚子さん(52)は、そんな夫妻を支える。「体調管理のためにプールで体を動かしたい」との思いを聞き、施設見学に付き添った。不自由でも前向きに生きようとする2人を応援しながら「身近に見守る人が増えたら」と願う。

 外国人住民の暮らしに詳しい東京外国語大の小島祥美准教授は、避難生活が長引く中で埋もれがちな彼らのような存在に関心を寄せ、官民が協力して長期的に支える意義を説く。「避難民の困り事や悩みを理解し解決すれば、多様な背景を持つ外国籍の住民の暮らしやすさにもつながる」

 紛争や迫害で母国を追われる人は世界で増えている。国家間の争いで真っ先に犠牲になるのは立場の弱い者たちだ。命の危機から逃れてきた人たちが隣にいる。私たちは共に生きている。(新山京子) =おわり

(2024年2月24日朝刊掲載)

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