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連載・特集

広島の避難家族 ウクライナ侵攻2年 <3> 戦火怖くとも帰国決断

子の進学 遠い母思う

 「子どもの進学や将来を考えると、ずっと日本にいるわけには…」。三次市に避難するディミトル・ブワイロさん(39)とイリーナさん(38)夫妻が口をそろえる。母国ウクライナで比較的安全な地域の新居をインターネットで探し、5月半ばごろの帰国を見据える。

 ちょうど現地の学校は学年末シーズン。長男アレクサンドルさん(14)を希望する専門学校に行かせてやりたい。長女ズラータちゃん(5)は小学校入学を控え、次女ポリーナちゃん(2)もいる。

 ロシア軍が侵攻し1カ月余り後の2022年4月初め。激戦が続くウクライナ東部ドネツク州の自宅を離れた。イリーナさんのいとこで三次在住のオクサナ・ヤシチェンコさん(48)を頼った。

「復興の力にも」

 今は家族5人がアパートで暮らす。教師のディミトルさんは母国のオンライン授業を受け持つ傍らスーパーで働き、イリーナさんも福祉施設に勤める。三次で受ける物心両面の支援に、夫妻は「感謝しかない」と話す。

 帰国したら一からのスタート。ロシア軍の攻撃が怖くないと言ったらうそになる。それでも「復興の力にもなりたいから」と力を込める。

 戦火のさなか、帰国を決断した避難者は少なくない。ウクライナの民間調査団体のアンケートによると、昨夏までに避難者の63%が母国に戻った。理由(複数回答)は「ホームシック」が最多の58%。「祖国愛」51%▽「家族、親族ら愛する人に会いたかった」41%▽「避難している後ろめたさ」20%―などが続く。

 ヤナ・ヤノブスカさん(42)は昨年11月、長女(20)と避難する広島市から初めて一時帰国した。「母国に残した母親が気がかりで」。そう言って涙を拭った。

心すり減る日々

 ドイツ経由でラトビアに入り、車で何時間もかけて首都キーウ(キエフ)の自宅マンションへ。建物が爆弾で破壊され、街中に戦車が並んでいた。日に何度も空襲警報が鳴る。物価は3倍に上がり、友人の多くは失業。侵攻後、友人の息子や長女の友人が亡くなっていた。

 キーウの北にある町に暮らす母親や姉家族と年末を過ごし、母国の料理を久々に味わった。「とどまりたい」と思う半面、命の危険を感じながら心をすり減らす日々に耐えられそうになかった。

 約2カ月半滞在し、長女が待つ広島へ戻った。高齢で病弱な母親は避難の誘いを断った。「もう会えないかもしれない」―。今の心の支えは、一時帰国の際に母親たちと撮影した家族写真だ。何度も見返す。(林淳一郎、新山京子)

(2024年2月23日朝刊掲載)

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