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柳井ゆかりの作家 功績今に いぬいとみこさん生誕100年 有志、あす記念行事

 太平洋戦争中、柳井市内の戦時保育園に勤めていた児童文学作家いぬいとみこさん(2002年に77歳で死去)の生誕100年を3月3日に迎える。柳井での体験から平和への思いを著した作家をしのぼうと、市民有志が今月24日、記念行事を同市柳井のアクティブやないで開く。(山本祐司)

 「戦災のなかった柳井で戦争を感じたことが、いぬいさんの原点になった」。ゆかりのある関係者が同所の「ほまれ保育園」跡に建てた記念碑前で、いぬいとみこの会の桑原真代表(72)は話す。父親が戦争に駆り出された子どもを預かる同園は1944年、柳井高等女学校(現柳井高)に付設された。

 いぬいさんは24年に生まれ、戦時中に父の転勤で柳井に。45年4月から1年間、同園に勤めた。78年に著作「光の消えた日」で戦禍を伝えた。

 「目のおくに、パッと光が射(さ)した」(45年8月6日)「海の上の青い空に黒煙がもくもくのぼっていた」(同14日)。広島に投下された原爆の閃光(せんこう)と光市の光海軍工廠(こうしょう)での空襲を描写した。その下で何が起きたのかを知ったのは、終戦6年後に長田新さんが編んだ手記集「原爆の子」を読んでからだった。

 自分にとって戦争とは何であったか―。この問いに突き動かされ、70年代に広島、柳井市を訪れた。柳井高女の生徒12人が犠牲になった光空襲についても調べ「光の消えた日」にまとめた。

 柳井高女2年の時に空襲に遭い、作品に登場する森重笑子さん(92)は、いぬいさんの話から作品名の「光」は原爆の閃光と光空襲を指すと明かす。「心の広い人で、柳井で園児に囲まれ青春を送ったが、自分と同年代の人が戦争の犠牲になり贖罪(しょくざい)の意識を強めた」と話す。

 同会は絵本の寄贈を市民に呼びかけ、記念碑の近くに開館するみどりが丘図書館に記念コーナーをつくる構想を練る。記念行事の式典と講演会は24日午後1時半から開く。

(2024年2月23日朝刊掲載)

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