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被爆地 心の交流 広島文理科大の南方特別留学生遺族

 太平洋戦争中の1943年以降、日本政府が東南アジアから呼び寄せた「南方特別留学生」。広島大によると45年当時、前身の広島文理科大に在籍していた9人のうち8人が被爆、2人が亡くなった。混乱の中で励まし合った被爆者と留学生の遺族との再会を追った。

 文理科大で被爆したマレーシア出身の故アブドル・ラザクさんの長男ズルキフリさん(72)が1月末、広島市を訪問。安芸区の原爆養護ホームで、ラザクさんと交流があった栗原明子さん(97)と対面を果たした。栗原さんは「本当によく似ている」と手を取って喜んだ。

 広島女学院専門学校(現広島女学院大)生の栗原さんは被爆直後からの約1週間、校庭でラザクさんら留学生と野宿した。「夜は星を見ながら一緒に歌を歌った」という。ズルキフリさんは「父と栗原さんの体験や平和の大切さを母国で伝えたい」と語った。

 生き延びたラザクさんら留学生の絵を、原爆に遭った人の肖像画を描く増田正昭(まさかず)さん(71)=京都市=が今月、広島市中区で展示した。増田さんは「日本占領下での犠牲者で、原爆の犠牲にもなった。この事実が忘れられてはならないとの思いで描いた」と振り返った。(写真と文・山田尚弘)

(2024年2月23日朝刊セレクト掲載)

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