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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 人生100年時代 再び学ぶ意味 自らの知 問い直すきっかけに 元ちひろ美術館副館長・広島市立大大学院1年 竹迫祐子さん

 人生100年時代といわれる今、一線を退いても先は長い。さらに働くか、趣味に打ち込むか…、選択肢は幾つもある。60代半ばまで、ちひろ美術館(東京・安曇野)で働いていた竹迫祐子さん(68)は昨年春から広島市立大大学院平和学研究科で学んでいる。再び学ぶ意味について聞いた。(特別論説委員・宮崎智三、写真・井上貴博)

  ―現役時代は、どのような仕事をしていたのですか。
 学芸員として、絵本作家いわさきちひろ展や、「戦後絵本の歩み展」といった絵本文化を発信する展覧会を手がけてきました。ちひろの作品や人生を紹介する「ちひろの昭和」や「ちひろを訪ねる旅」などの本も書きました。

  ―なぜ学び直そうと思ったのですか。
 現役で突っ走っているときは夢中で仕事をこなしていました。職場の若い人から、いろいろ問われて答える場面も増え、講演などでは、ちひろや絵本について語ってきました。ただ、年を重ねるにつれ自分自身の知識に疑問が湧くようになってきました。自分はどのぐらい本質を理解しているのか、という思いです。

  ―それがきっかけですか。
 新型コロナウイルス禍で生じた時間も、学ぶことをより現実的なものとして考えさせてくれました。さまざまな大学がオンラインで学びの場を提供し始めましたが、広く浅くなっており、私にはマイナス。きちんと学ぶ場に身を置かないと、何も身に付かないのでは、と考えたのです。

  ―家族と離れて大学院に入るというのは、思い切った決断ですね。
 もともと、やりたいと思ったことは少々無謀でも挑戦してきました。大学で美術を専攻していなかったのに、美術館に入ったのも、その一つ。入った後で、必死で勉強して学芸員の資格を取りました。

 当時の館長で劇作家の飯沢匡(ただす)さんが、そうしたところを評価してくれました。知らないことを恥じるより知ったふうに語る方がずっと恥ずかしい、と教えられました。それが、今につながっているのかもしれません。

  ―不安もあったでしょう。
 長く仕事していると職場では先輩として見られ、知らず知らずのうちに裸の王様になってしまう。そうした人間関係を取っ払って勉強しないと何も得られないと思います。

 夫や子どもは内心またかと思いながらも、応援してくれています。現館長の黒柳徹子さんにも励ましていただいたので、弱音は吐けません。

  ―何を学ぶつもりですか。
 ちひろは「世界中の子ども みんなに 平和としあわせを」という願いを作品に込めました。多くの絵本作家も平和を願って戦争について描いています。例えば広島の原爆を描いた絵本は100冊以上あります。そうした絵本を子どもたちはどう読んできたのか、心の中に何を育んできたのか、平和学という視点から問い直してみたいのです。

  ―大学院は厳しいですか。
 同学年5人のうち社会人枠は私1人。学び方も知らないので自分でも場違いな気がします。予習復習も大変です。若い学生の3倍は時間がかかるので、いつもヒーヒー言っています。年を取ると、落ち込みやすく、発言してがっくりすることも多くあります。でも、知らなかったことを知るのは、やはり面白い。学びに、楽なやり方はないことを実感しています。

  ―楽しそうですね。
 はい。ただ、学ぶ喜びを感じる一方で、何でも知りたいと思うことが許される体力や知力、時間はないとも感じています。その二つのバランスをどう取るかが問題です。

  ―絵本と平和との関わりを深く考えられそうですね。
 そうありたいです。最近の社会の動きを見ていると、戦後築いてきた平和が、ないがしろにされているように感じます。「新しい戦前」という言葉が今、多くの人が共通に抱く危機感を示しています。

 絵本や子どもの本に携わってきた私たちは今まで何のために頑張ってきたのか…。絵本について学び直そうとする思いは、そうした危機感とも重なるように感じます。

たけさこ・ゆうこ
 広島市西区生まれ。舟入高を経て日本福祉大を卒業。保育園勤務の後、1984年から、いわさきちひろ絵本美術館(現ちひろ美術館・東京)勤務。安曇野ちひろ美術館(長野県松川村)副館長、公益財団法人いわさきちひろ記念事業団事務局長など歴任。「岡本帰一とちひろ展」「一九八〇年代の日本の絵本展」などの展覧会を担当。著書に「初山滋」「ちひろライブラリー」など。共著も多数。

(2024年2月28日朝刊掲載)

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