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社説・コラム

天風録 『被爆門柱の謎』

 かつて広島市にあった日本最古の私立美術館をご存じだろうか。縮景園内に旧広島藩最後の藩主浅野長勲(ながこと)が設けた観古館(かんこかん)である。瀟洒(しょうしゃ)な館は原爆で焼失したが、石でできた門柱は耐えた。今は三次市の塩町中に立つ▲被爆門柱がなぜ60キロも離れた県北の中学校に運ばれたのか。いきさつは謎だ。美術作家・菅亮平さんの手による高さ3・5メートルの実物大レプリカの存在感に圧倒される。中区のギャラリーGできのう始まった個展で見た▲ピカのすさまじい威力も、縮景園に逃れた人が次々と命を落とす姿も見てきたはず。半世紀以上前の校舎新築で校門に転用したとの記録だけが塩町中に残る。原爆ドームの永久保存が決まる一方、復興が急速に進んだ時代。門柱のたどった運命に興味は尽きない▲菅さんの調査で、三次市出身で広島市平和文化センター初代局長の故田淵実夫さんが関わったらしいことまでは判明した。「歴史の空白を埋めたい」と移設にまつわる証言を募っている▲学校だよりの言葉を引く。「あの日を決して忘れるな」と私たちに強く語りかけます―。被爆時と変わらぬ姿で門柱は生徒を見守る。巣立ちを祝い、思いを継ぐ新入生を迎える春はもうすぐ。

(2024年2月28日朝刊掲載)

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