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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 特別論説委員 岩崎誠 ゴジラ70年 反核の原点 見つめ直そう

 あす3月1日はビキニデー。マーシャル諸島ビキニ環礁での米国の水爆実験で、第五福竜丸が被曝(ひばく)した事件は映画人を突き動かし、同じ年の名作「ゴジラ」の誕生につながった。つまりビキニ70年は、ゴジラ70年でもあるのだ。

 南の海の水爆実験で怪物と化したゴジラが日本を襲い、放射能の熱線を吐いて街を破壊する。観客961万人を動員した物語は東宝がシリーズ化し、30作を数える。

 その全てを読み解く「ゴジラ博士」がいると聞き、和歌山信愛女子短大を訪ねた。副学長の伊藤宏教授(61)は元共同通信記者で、メディア論が専門。ゴジラを通じて憲法の役割や原子力政策を問う論文を書いている。ファン同士で意気投合して語り合った。何より初代ゴジラの奥深さについて。

 手作業の特撮で、原爆や空襲を思わせるゴジラの惨禍を表現したこと。怪物の正体を隠したがる政府を女性の国会議員たちが指弾する戦後政治の風景。そして準主役の芹沢博士の名せりふである。

 どんな生物も破壊する技術を発明した芹沢はゴジラへの使用をためらう。一度使えば「世界の為政者たちが黙って見ているはずはない」。必ず飛びつき、人類を破滅に追い込む武器に使う、と。自らの死と引き換えに技術を封印する芹沢の姿は、科学を戦争に応用することへの警鐘にほかならない。

 伊藤さんはこう分析する。「ゴジラもまた被害者。悪いのは核実験であり、人間の身勝手さだと明確に伝えたのが第1作でしょう。そして一番恐ろしいのは為政者と呼ばれる人たちだ、とも」

 以後のゴジラも核とは切っても切り離せないが、次第に子ども向け娯楽色を強め、人類の味方に。やがて興行的に行き詰まり、1975年にシリーズは中断する。

 原点に戻った節目として伊藤さんが注目するのが84年の16作目、「ゴジラ」だ。日本を襲うゴジラに対して米ソの特使が戦術核の使用許可を求める。だが首相は非核三原則を唱えて両国を説得する。「一度使われてしまえば抑止力としての均衡が崩れ、世界の破滅につながる」。核軍縮の機運が高まった時期。被爆国のあるべき姿を描いた点で評価できるという。

 歴代ゴジラは時代の空気を映してきた。伊藤さんが気がかりなのは暴れるゴジラに「核を使う」ハードルが下がっていることだ。

 2016年の29作「シン・ゴジラ」がそう。3・11を踏まえ、ゴジラが生まれた原因を放射性廃棄物の海洋投棄とした設定は目新しい。ただ米国がゴジラへの核使用を決定し、日本が容認に傾いたように描かれた。現実的に使われ得る兵器として認識されつつある社会の背景が怖い、と伊藤さん。

 原発については、むしろ逆という。かつてのゴジラ映画では、原発を襲う設定がしばしばあった。福島の事故を経験した日本では、原発の破壊はもはや安易な絵空事としては描けまい。

 最新作「ゴジラ―1・0(マイナスワン)」はどうか。一つの映画としては掛け値なしに面白い。

 ゴジラの原点に沿い、核実験も描く。終戦翌年、同じビキニ環礁で米国が広島・長崎に続いて核を爆発させたクロスロード作戦を、ゴジラ巨大化の背景として織り込んだ。とはいえ旧海軍の生き残りの活躍に焦点を当てる作品では、核の脅威の埋没感は否めない。

 第1作の米国公開に当たって、再撮影までして反核を思わせる部分を消した経緯がある。この最新作が米国ですぐに上映され、大ヒットしたことは喜ばしいが、核と人間という文脈ではどう見られているのかが、少し気になる。

 初代ゴジラの生みの親、故本多猪四郎監督は終戦後の復員途中に広島を通り、惨状を目にしたことが礎になったと生前語った。再びのゴジラブームだからこそ、原点のメッセージを忘れたくない。

(2024年2月29日朝刊掲載)

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