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社説・コラム

[A Book for Peace 森田裕美 この一冊] 「眠る魚」 坂東眞砂子著(集英社)

絶筆が問う日本社会

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が起きた13年前、私たちを覆ったあのつらく重たい空気を思い出した。2014年に早世した坂東眞砂子さんの絶筆。未完の長編小説である。

 主人公は、自由を求めて日本を脱出し、南太平洋のバヌアツで暮らす伊都部彩実。11年3月11日、遠く離れたこの地にも津波警報が出され、日本の大地震を知る。続いて原発事故のニュースも届くが、海外で報じられる放射能汚染の深刻さと裏腹にのんきな日本の人々に戸惑うばかりだ。

 ある日父が急死し、関東の古里に一時帰国した彩実は放射線の影響を心配する。だが家族や地域住民に危機感はなく、事故後に増えた病気や突然死は風土病だと言う。周りの空気や口承、陰謀論に流され、現実から目をそらす社会に、彩実の違和感は膨らんでいく。そんな折、自身も病に―。

 病の発症を含め、主人公には作家の実体験が投影されている。彩実の言葉には、長く海外に暮らし外側から日本を見つめてきた作家のいら立ちと愛情が見え隠れする。

 読んでいて苦しくなるのは、その言葉が現実を言い当て、胸をえぐるから。「みんな、そうしているから、みんながそういっているから、というところに帰結していく」「肝心なところは何も追及することなく、世の中は流れていく」。現状認識や責任追及が甘く、同調圧力が幅をきかせる社会に反ばくする作家の思索の跡が浮かび上がる。

 表紙を彩るのは丸木位里・俊「原爆の図」。核の時代に生きる私たちの現実として物語の中にも象徴的に登場している。

 「思考停止」を問いかけたところで絶えた本書。結末は読み手に委ねられている。

これも!

①吉村萬壱著「ボラード病」(文春文庫)
②多和田葉子著「献灯使」(講談社文庫)

(2024年3月4日朝刊掲載)

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