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シベリア抑留中に死亡 松田宗三さん 遺骨 八千代の遺族の元へ 長男18年に他界 「喜んでいる顔浮かぶ」

 第2次大戦後、シベリア抑留中に亡くなった松田宗三さん=廿日市市出身=の遺骨が7日、安芸高田市八千代町佐々井の遺族の元に戻った。厚生労働省がDNA鑑定で特定した。遺骨の帰還を待ち望んでいた長男紀雄さんは2018年に78歳で死去。紀雄さんの妻節子さん(77)は「夫が喜んでいる顔が浮かびます」と目頭を押さえ、遺影にそっと目をやった。(胡子洋)

 遺族や県によると、宗三さんは1943年に戦地へ。陸軍歩兵231連隊に所属し、中国で終戦を迎えたとみられる。ロシアの旧チタ州のカダラ収容所で45年12月に30歳で栄養失調のため亡くなり、カダラ村墓地に埋葬された。

 遺骨は政府の遺骨収集派遣団が05年8月に持ち帰った。紀雄さんが毛髪を提供し、昨年12月に特定されたとの連絡が届いた。08年の鑑定では分からなかったという。

 紀雄さんは3歳の時に父親と別れた。確かな記憶がない中、93年に他の遺族とともに追悼で現地を訪ねた。「少しでも近づこうとしたんでしょう」と節子さん。その際のビデオ映像には「現地を見て安心した」との声も残る。紀雄さんは石を持ち帰り、墓に納めた。

 この日、県の担当者が遺骨を届けた。節子さんは「夫が生きていれば…」と涙を流し、「皆さんのおかげです」と感謝した。節子さんの長男浩和さん(53)=廿日市市=は「向こうで苦しい思いをしたんでしょう。お帰り」と語りかけた。

 遺族は24日に法事を営み、宗三さんの妻や紀雄さんが眠る墓に納骨するという。

(2024年3月8日朝刊掲載)

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