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夢半ばで戦没 画学生映画化 竹原出身の手島ら2人にスポット 五藤監督「無念さ伝える」

 夢半ばで戦没した画学生たちを題材にした映画が製作される。主人公の一人は、竹原市出身で広島市で被爆し亡くなった画家の手島守之輔(1914~45年)。映画「おかあさんの被爆ピアノ」の五藤利弘監督(55)が手がけ、竹原市内などで撮影する。「戦争の悲惨さを静かに訴える」とし、戦後80年となる来夏の公開を目指す。(渡部公揮)

 五藤監督によると、作品は事実に基づいた劇映画とし、手島と、フィリピンで戦死した鹿児島県出身の日高安典(1918~45年)に光を当てる。2人の作品を所蔵している戦没画学生慰霊美術館「無言館」(長野県上田市)が舞台の現代と、手島たちが夢を追い東京の「アトリエ村」などで青春を過ごす過去を交錯させながら物語を進める。

 手島は1934年、東京美術学校(現東京芸術大)に入り、戦後の洋画壇の重鎮となった荻太郎たちと学んだ。卒業後も東京で創作を続けるが、戦争激化のため43年に竹原に戻り、学校の図画講師になった。45年に臨時召集され、8月6日に広島市で被爆。同16日に31歳で亡くなった。

 五藤監督は2020年秋、無言館の館主に画学生たちの映画化の計画を伝え、承諾を得た。「夢を断ち切られた若者の無念さを伝えたい」と長年構想を温めていた。「おかあさんの被爆ピアノ」の製作を通して広島に思い入れがあり、手島を主人公の一人にした。関係者への聞き取りや資料の収集を進め、脚本を執筆している。

 今年2月下旬、竹原市内で手島のおいの潤さん(72)と面会。潤さんが管理する手島が描いた吉名のれんが工場の風景画や、荻による手島の肖像画を見学した。潤さんは「生き残っていたら画家として有名になった人はたくさんいたと思う。彼らの存在をしっかり伝えてほしい」と願った。

 同10月の撮影開始に向け、企業や個人から協賛を募っている。クラウドファンディングも準備。五藤監督は「悲しみを繰り返さないため、映画として次の世代に語り残していきたい」と力を込める。

(2024年3月11日朝刊掲載)

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