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大田洋子の文学作品 後世に 「屍の街」執筆の地 廿日市市玖島で朗読会

鋭い感性と筆力 現在は絶版多く

 被爆作家大田洋子(1903~63年)を顕彰する活動が、廿日市市玖島で地道に続けられている。大田が幼少期を過ごし、被爆直後に代表作「屍(しかばね)の街」(48年)を執筆した地だ。朗読会やフィールドワークを通し、郷土が生んだ孤高の作家に光を当て、作品の魅力を後世へつなぐ。(桑島美帆)

 生誕120年、没後60年を迎えた昨年12月。大田の母校、玖島小を改装した「玖島花咲く館」で追悼記念事業が開かれ、約30人が集った。

 元アナウンサーでつくる「ひろしま音読の会」が作品を朗読。廿日市市職員の平本伸之さん(58)が、「屍の街」を執筆した旧松本商店や、作中に登場する医院跡、大田の墓などを案内して回った。

 広島県北広島町で生まれた大田。母親の再婚に伴って玖島へ転居し、少女時代の6年間を過ごした。「淡紫色の水晶の重なりに見える山々」(「屍の街」)に囲まれた玖島の田園風景を愛し、心のよりどころにしていた。

 29年、本格的に上京した大田は、自伝的小説「流離の岸」(39年)や長編小説「桜の国」(40年)などを書き、脚光を浴びた。

 45年8月6日、疎開していた広島市白島九軒町(現中区)の妹宅で被爆。4日後に玖島へ避難した。焼け野原で見聞きしたことなどを基に、鋭い感性と筆力で「屍の街」や「山上」(53年)をはじめとする原爆文学作品を世に出した。しかし、現在は多くが絶版となっている。

 平本さんは旧佐伯町役場に勤務していた約30年前、地元の歴史民俗資料館に展示できる大田の著書が1冊もなかったことから、収集を始めた。東京や大阪の古書店へも足を運び、貴重な初版本など29冊を購入。「大田作品を知れば知るほど、戦争の時代を俯瞰(ふかん)する能力とセンスに格の違いを感じ、ますますのめり込んでいった」。2006年から地元の公民館で企画展や朗読会を開いてきた。

 朗読会ではあえて埋もれた小説に光を当てる。今回選んだ「どこまで」(52年)について、平本さんは「大田が大切にしていた一般の人々の手記をオマージュした、シンプルで切ない異色作」と解説する。

 この日、会場には「屍の街」に登場する小田洵子さん(85)=広島市佐伯区=の姿もあった。小田さんは実家の松本商店で育ち、被爆後に下宿していた大田と暮らした。「学校から帰ると2階に上がり、おばちゃん(大田)とよく話した。障子紙に(原稿を)書いては投げ捨てていた姿を覚えている」と懐かしんでいた。

おおた・ようこ
 1903年広島県原村(現北広島町)で生まれる。進徳実科高等女学校(現進徳女子高)卒。教師、県庁のタイピストなどを経て上京し、菊池寛の秘書に。29年文壇デビュー。54年「半人間」が芥川賞候補、平和文化賞受賞。63年取材で訪れていた福島県猪苗代町で急死。

(2024年3月9日朝刊掲載)

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