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戦前の広島彩った幕発見 厳島神社管絃祭 御供船の「艫飾り」 唯一の現存確認 金刺しゅうで弁慶描く

 江戸期から昭和初期まで、厳島神社(廿日市市)の管絃祭に合わせて広島市内の川を彩った「御供船(おともんぶね)」の華やかな飾りが、市内で見つかった。「艫(とも)飾り」と呼ばれる畳4枚分ほどの大きな幕で、躍動する弁慶が金の刺しゅうで描かれている。現存を確認できた唯一の艫飾りで、専門家は「原爆投下前の広島の活気を伝える貴重な史料」と評価している。(余村泰樹)

 広島修道大非常勤講師の中道豪一さん(神道学)が市内の民家の倉庫で確認した。縦約2・8メートル、横約2・5メートル。緋色(ひいろ)の毛の布地に金銀の糸を縫い付け、弁慶が橋の上でなぎなたを構える場面を描いた。なぎなたや欄干を金属、弁慶の目をガラスで表現するなど細やかな技巧を凝らしている。

 裏地の由緒書きには、宇品築港に尽くした実業家保田八十吉が1909(明治42)年、縫い師に依頼したとある。市立中央図書館が所蔵する明治末期の京橋町(現南区)の御供船の写真に、今回発見されたものと同一の艫飾りが写り込んでおり、中道さんは「京橋町のもので間違いないだろう」とみる。

 中道さんの論文を読んだ所有者から連絡があり、所在が分かった。戦時中は地方に疎開させ、原爆での焼失を免れたという。中道さんは「多少のほつれはあるが、ほぼ完全な状態」と驚く。

 広島藩の地誌「芸藩通志」の基になった調査書などによると、御供船は江戸期の正徳年間(1711~16年)ごろに始まった。ご神体を乗せた御座船のお供をしようと、町単位で競って船を出し、最盛期には90隻を超えた。京都の祇園祭の山鉾(やまほこ)をまねて船をちょうちんやのぼりで彩り、艫飾りを見ればどの町の船か分かったという。船上で神楽が舞われたこともあり、被爆作家の原民喜は「夢幻のような世界であった」と記している。

 中道さんは「豪華な艫飾りには、町の威信をかけて船を飾り立てた庶民の熱気を感じる」と往時に思いをはせる。多くの人に見てもらえるよう、所有者の意向も踏まえ、市に寄贈か寄託する方向で調整している。「あまり目を向けられてこなかった戦前の広島を知るきっかけになれば」と願う。

(2024年3月13日朝刊掲載)

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