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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 特別論説委員 宮崎智三 「核のごみ」の行方

科学的な議論 なぜ尽くさない

 老いた科学者ガリレオ・ガリレイに下されたのは、過酷な終身禁固刑だった。地球が動いているという地動説を唱え、聖書の教える天動説に反しているとして、ローマ教会から異端と断罪された。

 400年近く前、権力が自分たちに都合の悪い考え方を押しつぶしたと言えよう。科学的真理は天動説ではなかったにもかかわらずだ。実際、地動説の正しさは程なく証明され、ガリレオは「天文学の父」と呼ばれるようになる。

 昔話だと片付けられる話ではない。科学的真理の軽視は今でも起き得るからだ。

 例えば原発から出るごみ、高レベル放射性廃棄物の処分方法でも真理にそっぽを向く対応が見られる。政府は、「核のごみ」をガラス固化体に封じ込め、金属と粘土で厚く覆った上、発する放射線が大幅に減るまで、10万年ほど地層深くに埋める計画だ。

 土台となったのは、核燃料サイクル開発機構(現日本原子力研究開発機構)が1999年にまとめたリポートだ。将来10万年程度にわたって十分に安定で、好ましい地質環境が日本にも広く存在すると考えられる、と結論付けた。

 発表当初から多くの異論が出ていた。地震国なのに10万年も安定した場所があるのか、疑問が拭えないから当然だろう。

 リポートはこう説明する。地震や断層、火山といった天然現象は比較的限られた範囲で起こっており、規則性があるから将来の影響範囲が推論できる…と。

 あまりにも楽観的だ。科学者から見れば、なおさらだろう。昨年10月には、地球科学の専門家らが「日本に地層処分の適地はない」との声明を出した。賛同者を含む約300人もの連名は重い。

 未知の活断層もあるし、断層以外の要因でも地震は起きる。どの程度の規模の地震が起きるのかさえ今の科学では推測できない。2011年の東日本大震災や、今回の能登半島地震もそうだった。

 北欧のフィンランドでは核のごみの最終処分が始まっている、との反論もあるだろう。しかし安定した大陸の上にある欧州と、太平洋を取り巻く変動帯に位置する日本では地層の条件が違い過ぎる。

 もちろん日本でも、今から10万年間、たまたま安定したままの場所はあり得る。しかし、それがどこか、今の科学的知見では特定できない。科学には限界がある。

 しかも、フィンランドは原発で燃やした使用済み核燃料を「再処理」せず地層に埋める。日本はプルトニウムを取り出すため再処理する計画で、核のごみから出る放射線は桁違いに大きくなる。ガラス固化体は製造当初だと、1メートル離れた場所に数十秒いるだけ死に至るほど強い放射線を出すという。

 地層処分は同じでも、核のごみの危うさには雲泥の差がある。

 科学者の代表機関である日本学術会議が、どう考えるかも重要だろう。実は民主党政権時代、政府からの審議依頼を受けて、12年に提言を出している。

 政府の思うように地層処分が進んでいないのは、説明の仕方の不十分さというレベルの要因ではなく、より根源的な次元の問題に由来すると指摘。従来の政策を白紙に戻すくらいの覚悟を持って見直す必要があると強調している。さまざまな立場の人に開かれた討論の場の設置などを求めている。

 ところが、その直後の自民党の政権復帰もあって、提言は宙に浮いたままだ。それどころか、会員候補6人の任命拒否という禁じ手とも言える人事介入によって学術会議の弱体化や変質まで企てた。

 政府の方針への疑問や異論が専門家から相次いでいるのに、今も政府は耳を傾けようとしない。薄っぺらい根拠で地層処分は可能だと判断したリポートを金科玉条のごとく扱っている。聖書を絶対視し、異論を不当に封じたかつてのローマ教会と重なって見える。

 意に沿わぬ科学者の口を一時的に封じられたとしても、科学的真理を都合良く変えることはできない。ガリレオの例が示している。

 核のごみをどうするのか。地層処分の適地はあるのか。たとえ思わしくない結論が出ようとも、政府は、科学的な議論を尽くさなければならない。東京電力福島第1原発では、専門家が英知を集め、巨大津波の可能性を示唆した地震予測「長期評価」を軽んじて深刻な事故を招いた。その教訓を生かすことにもつながるはずだ。

(2024年3月14日朝刊掲載)

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