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連載・特集

核の時代の始まり 思惑絡む舞台裏 「原爆の父」の人生描く映画「オッペンハイマー」 29日から全国公開

米国従来の歴史観に偏らず

 米アカデミー賞で作品賞、監督賞など計7部門を受賞したクリストファー・ノーラン監督の映画「オッペンハイマー」が29日、米国に8カ月遅れて日本で全国公開される。映画が描き出す一人の物理学者の人生からは、科学と政治と戦争の共犯関係や、冷戦下の核開発競争の舞台裏が浮かび上がる。(渡辺敬子)

 広島、長崎への投下に至る原子爆弾を開発した米国の極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を、物理学者としてけん引したロバート・オッペンハイマー(1904~67年)。戦後は核兵器の国際的管理を唱え、水爆の開発に反対するが、共産主義者のレッテルを貼られて公職を追われる。

 ノーラン監督が脚本も担った。2006年にピュリツァー賞を受賞した評伝が原案で、「日本の降伏を早め、多くの兵士の命を救った」とする米国の従来型の原爆史観には偏らない。ナチス・ドイツの降伏を受けて原爆使用に反対した科学者の存在をはじめ、戦時下や冷戦の厳しい緊張の下でも、さまざまな選択肢があり得た事実を描く。

 上映時間は3時間。前半のピークは、1945年7月に米ニューメキシコ州の砂漠地帯で行われた世界初の核実験だ。ソ連の対日参戦をにらみ、原爆使用へ進む政治家たちの会話は軽い。標的にされた広島の市民としては胸が苦しく、つらい場面が続く。

 原爆の実戦使用をラジオで知ったオッペンハイマーの表情はゆがむ。調査団による被爆地の画像から目をそらす。49年、ソ連も原爆開発に成功。「原爆の父」とたたえられたオッペンハイマーがスパイ容疑で公聴会にかけられるのは、日本人乗組員が水爆実験で被曝(ひばく)した第五福竜丸事件と同じ54年だ。喉頭がんを患い、62歳で死去する。

 映画は時系列でなく、複数の時間と空間を行き来しながら展開する。観客自身が自分の中で物語を組み立て、理解するように促すノーラン監督独自の手法だ。字幕で一瞬「核分裂」と表示されるオッペンハイマーの時間軸は、カラー映像で表現。米原子力委員長などを歴任し、オッペンハイマーと対立するストローズたちの時間軸は「核融合」としてモノクロで映し出される。

 原爆開発を米国に進言したアインシュタインは戦後、核兵器廃絶を訴える。マンハッタン計画を主導した米陸軍の幹部将校グローブス、原爆投下を命じたトルーマン大統領、水爆開発に魅了される物理学者テラー…。さまざまな登場人物の思惑が絡み合う。核時代をもたらしたのは神々ではなく、私たちと同じ人間であると実感させる。

 ウクライナ侵攻を続けるロシアが核兵器の使用をほのめかし、発効3年となる核兵器禁止条約に核保有国も日本も参加しない。核兵器の悲惨さの描写などを巡って映画の評価は割れそうだが、核の現状に世界の目を向けさせる力を持っているのは間違いない。

識者に聞く

 さまざまな問いを内包する映画「オッペンハイマー」を、表現者はどう受け止めるのか。関東大震災直後、民族差別を背景に多発した虐殺について映画「福田村事件」で取り上げた呉市出身の映画監督森達也さん、戦争の時代を生きた女たちを描く新刊「彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!」を著した作家・アーティストの小林エリカさんに聞いた。

映画監督 森達也さん

アンタッチャブルな問題 切り込む

 濁流のようにあふれる映像と音。「むき出しの映画を見た」というのが最初の感想だ。「核兵器の恐怖をきちんと語っていない」との評価は早計だと思う。ノーラン監督はオッペンハイマーの苦悩と絶望を通じ、広島と長崎を描いている。

 被爆地の画像を見ることができず、うつむく場面がある。いかに悲惨でむごいのか分かる。広島と長崎の情景がないことで、観客の想像力はより強く喚起される。テレビと違って映画館に来た人は「凝視」する。ストレートに描くより、「間接話法」の方がもっと深く届く。

 原爆投下の罪、対共産主義のレッドパージという米国社会のアンタッチャブルな問題を審判した。先端科学技術のデュアルユース(軍事、民生の両目的で使われる)というダークサイドにも切り込んだ。米国映画の奥の深さ、見る側への信頼感がある。

 加害と被害はどの国にもある。海外では、ナチス・ドイツのホロコースト、米国のベトナム戦争や黒人差別、韓国の光州事件など「負の歴史」と向き合う映画がたくさん作られている。社会に忖度(そんたく)する傾向が強く、免疫もないのか、日本映画だけが蚊帳の外にいるようだ。「福田村事件」にはそんな問題提起も込めている。若い世代には加害の歴史も知ってほしい。

 挫折や絶望を重ね、失敗して人間は成長する。しかし、失敗は記憶されなければ意味がない。この10年から20年くらいの間、日本社会は「自虐史観」というレトリックで、「負の歴史」を忘れ去る動きを強めてきた。

 広島や長崎に刻まれた過去の出来事は、今につながっている。被爆国である日本の社会こそ、この映画について深く考えなくてはいけない。

もり・たつや
 1956年生まれ。オウム真理教団の内部に迫った「A」などのドキュメンタリーで知られる。昨年公開された初の劇映画「福田村事件」で日本アカデミー賞優秀監督賞。作家としても「放送禁止歌」「下山事件」など著書多数。

作家 小林エリカさん

「描かれなかった者たち」見つめて

 巨大な力に魅了される男たちの情熱や欲望の物語として織り上げ、あえて周りを見せずに描くスタイルが恐ろしさを高めている。原爆を投下された広島や長崎の人々も、マンハッタン計画に関わった米国の女性たちも描かれていない。被爆地や女性たちが見えていない、見ようともしていないことが分かる。その恐ろしさに戦慄(せんりつ)した。

 権力に引き寄せられた男性社会の内側から見えているもの、被害者の視点が抜け落ちた加害者の視点を、映画の中で観客に体感させる。その傲慢(ごうまん)さを妥協なく描いたことに誠実さを感じる。緻密に練り上げられたすごみがある。

 ノーラン監督の作品に通底するのは、巨悪も完全な善人もいないこと。一人一人が何かに加担し、巨大な災厄や殺りくに至る。私たち一人一人が、現在起きていることにも責任があると突き付けられる。

 あえて描かれなかった者たちに、発信の機会をもたらす映画。米国では、計画に参加していた女性たちへのインタビューをポッドキャスト(インターネットによる音声配信サービス)で公開する動きも生まれた。映画に呼応する形で、それぞれが声を上げる機会になると思う。

 新著「彼女たちの戦争」では、戦時下、巨大な力にあらがいながらものみ込まれていく弱い立場の女性たちの軌跡をたどった。例えば、ドイツでオットー・ハーンと共に核分裂を発見したユダヤ人科学者リーゼ・マイトナー。手柄は男たちに横取りされ、スウェーデンに逃れて核兵器開発には関わっていないのに「原爆の母」の名を着せられた。映画で描かれなかった多くの人生を見つめるきっかけになればうれしい。

こばやし・えりか
 1978年生まれ。著書に小説「マダム・キュリーと朝食を」、コミック「光の子ども」など。戦争や放射線被曝を巡る女性の歴史や記憶に光を当ててきた。インスタレーションの美術作品も国内外で発表している。

(2024年3月16日朝刊掲載)

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