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社説・コラム

[記者×思い] ハトの箸置きから考えた 編集委員 水川恭輔

長男(5)の鉄道玩具が年々増加。自宅の本や資料は少しずつ屋内型トランクルームに

 自宅の食器棚に愛らしいハトの形の箸置きがある。陶芸が趣味だった呉市の被爆者、中西巌(いわお)さんの作品。中西さんは広島市南区の被爆建物、旧陸軍被服支廠(ししょう)の全棟保存を訴え、昨年8月に93歳で亡くなった。手に取ると、生前の穏やかな人柄を思い出す。

 特に忘れられないのは被服支廠に同行して証言を聴いた被爆70年企画の取材だ。ここで15歳で被爆した中西さんは「負傷者のうめき声が今も聞こえる気がします」。被服支廠はここに収容されて亡くなった被爆者の「墓標」だと訴えていた。

 自作の箸置きは、代表を務めていた「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の集会への参加者をはじめ、多くの人に記念に配っていた。いつもやさしく、平和を愛した中西さんらしい心遣いだった。

 被爆80年が迫り、体験者の証言を直接聴くのは年々難しくなっている。一人一人の被爆者の固有の体験や思いを後世に伝えるために大切な資料は体験記や証言映像にとどまらない。ハトの箸置きはそう教えてくれる。

 今は広島大で保管されている被爆者の児玉光雄さん(2020年死去)の手帳も、そうだった。生前の取材が縁で遺品保存を手伝った際、手に取った。開くと、学生への証言や、記者や研究者との面会の予定がずらり。度重なるがんと闘いながら被爆の実態を伝え続けた人生を刻んでいた。

 広島では、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に広島原爆の記録写真と映像を登録させようとする動きが進む。同時に、記録写真・映像や被爆直後の犠牲者の遺品に比べてそれほど意識的に収集されてこなかった資料を残す取り組みも重要だ。被爆者個人の戦後の歩みを伝える品々も当てはまる。

 原爆資料館だけでは保存スペースが足りないだろう。ならば、被服支廠を生かしてはどうか。かなうなら、中西さんの箸置きも保存資料の一つに―。そう願っている。

(2024年3月16日朝刊掲載)

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