×

社説・コラム

『今を読む』 「世界のヒバクシャと出会うユースセッション」コーディネーター 瀬戸麻由(せとまゆ) ビキニ70年と広島

未来へ継承 連帯して行動を

 1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁で行われた水爆実験「ブラボー」は、広島原爆の千倍の威力だったといわれる。米国はこの最大の実験を含む67回の核実験をマーシャル諸島で行い、その影響は今も色濃く残る。

 ブラボー実験から70年の節目を迎えた今年、首都マジュロで行われた核実験犠牲者の追悼式典に合わせて、広島から現地に赴いた。

 中部太平洋に位置するマーシャル諸島は、3月でも日本の夏場のように暑く、日差しも強い。サンゴ礁が長い年月をかけて積み重なり形成された、環礁の細長い陸地に立ち並ぶマジュロの街。場所によっては右を見れば環礁に囲まれたラグーンの穏やかな海が、左を見れば太平洋側の波立つ海が見えた。核問題だけでなく近年の気候危機による海面上昇の深刻な影響もこの国をむしばむ。「先進国」と呼ばれる国々が何十年も行ってきたことのしわ寄せが、いかにこの穏やかな土地と人々に及んでしまっているのかを痛感した。

 今回の渡航のきっかけは一昨年の6月にオーストリアで行われた核兵器禁止条約の第1回締約国会議に参加したことだ。会議には世界各地の若い世代が積極的に参加し、太平洋地域をはじめとする核被害地域の人々に多く出会うことができた。核被害地はヒロシマ・ナガサキだけでなく、核実験、ウラン採掘、原発事故や放射性廃棄物などの影響を受ける地域が世界各地にある。そのことに改めて気づいた時、互いの経験から学び、活動に刺激を受け、連帯して行動することの大切さを感じた。

 帰国後、友人とともにオンラインで世界の核被害について学ぶ勉強会を月に1回程度開催。マーシャル諸島からのゲストを招いた回もあり、現地に行ってみたいという気持ちが高まった。

 マジュロ市内の大学で行われた式典では被害地域を代表してビキニ環礁選出の国会議員がスピーチをした後、ビキニの人々が故郷を思う歌を歌った。70年以上の時がたっても、ビキニ環礁の除染は十分に行われておらず、彼らはいまだに故郷の島に帰ることができていない。「実験は人類のため」という大義名分のもとに強制的に移住させられ、マーシャル諸島各地や米国に離散して暮らしている。

 式典後にビキニ環礁のトミー・チボック首長に話を聞く中で彼が言っていた「ビキニに帰りたい」という言葉が印象的だった。核実験の破壊力になぞらえ、水着の呼称に使われるようになった「ビキニ」は、もともとマーシャル語で「たくさんのココヤシ」を意味するそう。この言葉の使い方一つとっても実験を行った強国と、その土地に愛着を持って暮らしてきた人々とのギャップが垣間見える。

 マーシャル諸島の人々にとって土地や周りの海とのつながりは深く、アイデンティティーを形成する大切なものだ。彼のように移住後に生まれた世代もまた、先祖代々暮らしてきた故郷が奪われ続けている核被害の当事者である。

 核実験があったことや、その影響をどのように次世代に伝えていくか。広島でも継承が課題になっているが、マーシャル諸島では、今まさに「核実験についてきちんと学ぶ機会のなかった世代」が未来を担う子どもたちに伝えるための取り組みが進んでいる。

 式典の行われた大学の中庭では学生たちがアート展示を主催していた。代表のジーナさんが展示の一つを指しながら、自身の曽祖母が核実験の影響を受けたロンゲラップ環礁で当時12歳だったのだと話してくれた。ロンゲラップ環礁では実験直後に放射性降下物が降り注ぎ、住民たちが被曝(ひばく)した。今も帰島がかなわない状況が続いている。彼女が幼い頃、曽祖母は「私たちは実験体として使われたんだ」とつぶやいていたが、当時の彼女はどういう意味かが分からず取り合わなかった。「なぜ話をしっかり聞かなかったんだろうと、悔しく残念に思う。だからこそ、次の世代への教育に力を入れていきたい」と教えてくれた。

 「Nuclear Justice」という言葉を現地で何度も耳にした。核問題を抱えるこの社会を公正な状態にするためのスローガンのような言葉だ。人間の尊厳を回復するための「公正」さが必要な分野は核問題にとどまらず、気候危機や福島第1原発事故の処理水問題への憂慮など、さまざまな問題を語り合う場面もあった。海は私たちを隔てず、これらの問題ごと私たちをつなげている。この世界を公正な状態に導くために、できることがたくさんある。広島の地から考え、連帯を広げ、行動し続けたいと思う。

 1991年呉市生まれ。早稲田大在学中の2013年、ピースボートの「証言の航海」で被爆者と世界一周。外務省委嘱のユース非核特使も務めた。広島市の平和カフェ、ハチドリ舎のスタッフ。核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)メンバー。

(2024年3月23朝刊掲載)

年別アーカイブ