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社説・コラム

『想』 イシズマサシ あっちがわ

 私の前作「あっちがわ」は、怖い話が大好きだった幼少時代の自分に向けて描いた絵本だ。怖いといっても夜の暗がりからお化けがおどろおどろしく出てくるものではなく、からりと晴れた青空の下でふわりと起きる奇妙な出来事にしたかった。

 舞台は私が生まれ育った広島の昭和30年代後半から現在までの時代を混在させた架空の街。絵の中になじみの道を1本描けば、その向こうに広がる地図の隅々まで、さまざまな思い出と共によみがえってくる。

 かつて船越町の線路沿いには父が勤めていた国鉄バスの営業所があり、西古谷公園には豚小屋があった。広島駅の北側には大きなプレハブストアの物資部があり、紙屋町の平屋のバスターミナルはいつも雑多な人々の喧噪(けんそう)があった。

 懐古ついでに妄想のモチベーションもぐんぐん上がり、あれから一度も会っていないクラスメートが当時のままの姿でしゃべりかけてくる。私は意気揚々とあっちがわに行き、自分を怖がらせる15の物語は完成した。

 その後、あるイメージが作品に色濃く反映していることに気付く。焼きついた影、湧き上がるきのこ雲、病棟で頭に包帯を巻いた少女、川に沈んでいる人、防空壕(ごう)の穴、青空に向かって行進する群衆…。それらが次々に現れる。

 私が恐怖として捉えていたのは原爆や戦争だったのだ。作品を作るときの思考は自分の経験から生まれる。戦後18年の広島の街に垣間見ていた原爆への恐怖心が、深層心理の奥深いところに根付いていたのだろう。

 昨年の夏に東京タワーで原画展のイベントを開催した。場所柄からか海外のお客さんも多く、「すごく怖いけれど、それ以上に美しい」という声を多数いただいた。そうだと思う。

 「あっちがわ」を描いているときにあった記憶は、恐怖だけではなかった。瀬戸内の海からは優しい潮の香りを、山々からは青々とした木々や果実の匂いを、そして土や草の匂いまでもを仕事部屋に運んでくれた。

 心の故郷でもある広島は、やはり美しい街なのだ。(作家)

(2024年3月23日朝刊セレクト掲載)

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