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社説・コラム

『今を読む』 東京工業大教授 川名晋史(かわなしんじ) 川上弾薬庫とPFAS問題

地位協定の運用改善急げ

 東広島市の川上弾薬庫に注目が集まっている。普段、ほとんど耳にすることのない在日米軍基地だ。昨年12月、基地に近い瀬野川流域の地下水から暫定指針値の300倍を超える有機フッ素化合物(PFAS)が検出された。住民から不安の声が上がり、東広島市は政府に基地内の調査を求める要望書を出した。

 こうした事案は今、全国の基地所在地に広がっている。自治体が求める立ち入り調査に立ちはだかるのは決まって日米地位協定だ。

 問題の核心は日米地位協定第3条(基地管理権)にある。3条は米国が基地の「設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」と規定する。日本側は米国の同意なしに基地に立ち入ることができず、それゆえ他国に類例のない条項として国内でつとに問題視されてきた。

 通常、地位協定が受け入れ国側に不利なものかどうかは北大西洋条約機構(NATO)軍の地位協定を基準に判断される。NATO軍地位協定よりも待遇が悪ければNATO並みに引き上げられる余地がある。日本でも日米地位協定の前身である行政協定の時代には刑事裁判権の規定が、NATO並みに引き上げられたことがある。

 他国に比べて著しく不利な条項がある場合も、改定の対象にされることがある。フィリピンや韓国などはかつてそれを理由に改定にこぎ着けた。しかし、だからこそ米国は改定に慎重になる。特定の国にとって有利な改定がなされれば、それよりも不利な協定をもつ諸国が一斉に同様の改定を求めることになるからだ。

 日米地位協定第3条が、NATOや他国の地位協定に比して日本側に不利な内容になっていることは疑いがない。では、なぜ改定されないのか。そこにはいくつかの事情がある。

 まず、米国にとって3条は日米地位協定上の最大の利点だ。その認識は行政協定の時代から一貫している。そもそも行政協定の誕生(1952年)の経緯が、基地管理権の問題と密接に関わっている。行政協定を巡る日米交渉は連合国の占領下、しかも朝鮮戦争が進行する中で行われた。

 日本の基地、なかでも広島や山口、そして福岡の各県は朝鮮戦争の重要な出撃拠点だった。戦争の帰趨(きすう)を占う日本の基地の運営・管理に関する米国側の権利を規定したのが3条である。

 その規定が今日まで継続している。それを米国の既得権だと批判するのは簡単だが、他方で朝鮮戦争が終結していないという現実も重い。善しあしは別に、軍は常に最悪の事態を想定し、幾重にも保険をかける。軍にとっては万が一、日本に反米政権が誕生した場合でも、基地を自由に使用する権利が保障されなければならない。だから、改定には同意しない。

 地位協定の改定を難しくする別の理由は、あまり知られていない日本のもう一つの地位協定、国連軍地位協定にある。これも日本特有の問題である。そしてこの協定もまた朝鮮戦争に端を発する。

 同協定を根拠に、現在も国内7カ所の米軍基地が朝鮮国連軍に提供されている。日本は国連軍に参加する国々との間で同協定を交わし、日本に駐留する外国軍の要員を支援している。国連軍の後方司令部は東京の横田にあり、他に座間、横須賀、佐世保、嘉手納、普天間、ホワイトビーチが彼らの基地として使用されている。かつては岩国基地もそうだったが、現在は指定が解除されている。

 問題は国連軍地位協定が日米地位協定と連動して運用されていることだ。仮に日米地位協定の特定の条項を改定する場合、それに関連する国連軍地位協定の条項もまた同水準に改めなければならない(国連軍地位協定第23条)。あろうことか国連軍地位協定にも基地管理権に関する規定(同第5条3及び同合意議事録)がある。つまり、日米地位協定第3条に手を付ければ、その影響はたちどころに国連軍地位協定にも及ぶ。

 そうなると、問題はもはや日米の2国間ではなく、国連軍地位協定を批准する英国やオーストラリア、カナダなど12カ国との間のものに転化せざるを得ない。

 基地管理権の問題は根が深い。正面から改定を求めても現時点ではおそらく実現の見込みは低い。実態を踏まえた具体的運用の改善を模索するのが先決だろう。

 1979年北海道生まれ。国際政治学者。青山学院大大学院博士後期課程修了。東京工業大准教授などを経て、2023年から現職。広島大客員教授を兼任。著書に「基地の政治学」(佐伯喜一賞)、「基地の消長」(猪木正道特別賞)、「在日米軍基地」など。

(2024年3月26日朝刊掲載)

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