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連載・特集

緑地帯 若狭邦男 私と大江コレクション②

 大江健三郎氏の著作で、「ヒロシマ・ノート」に次いで目を開かれたのが小説「セヴンティーン」だった。大学に入った翌年の1966年、講談社が配本する「われらの文学18 大江健三郎」で読んだ。

 「われらの文学」は、大江氏と文芸評論家の江藤淳氏の若手2人を編集委員に刊行された意欲的なシリーズだった。この第18巻は今も手元にある。

 17歳の主人公の行動が強い政治色を帯びていくさまは、見えない何かへ突き進むようで、東京の大学に進学した同級生たちに重なって思えた。一方、私は地元広島で変化に乏しい青春を過ごしていた。

 くすぶるような心理状態が影響したかもしれない。67年8月、大学の仲間に誘われて、10日間の予定で自動車旅行に出ることにした。松山市から反時計回りに四国を1周し、再び松山市に、という計画だった。

 最後の1日は自由行動で、私は松山東高を訪ねるつもりだった。松山東高は、大江氏が故郷(愛媛県内子町)の内子高から転校し、高校時代の後半を過ごした学校で、興味があった。

 高知県に入った旅行3日目の夜、景勝地の桂浜で盗難にあった。砂浜で夜を明かした翌朝、車の助手席側の窓が壊されていて、仲間の一人のカメラなどがなくなっていた。地元の新聞に「広島の大学生、桂浜で盗難にあう」と載った。

 話し合いの結果、すぐに広島に帰ることになり、松山東高への訪問は断念せざるを得なかった。(古書コレクター=広島市)

(2024年3月27日朝刊掲載)

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