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心の平穏こそ平和生み出す ティク・ナット・ハンの弟子、広島訪問 個人の意識 変容を促す

 ベトナム戦争時、非暴力の立場から終結を訴えた禅僧ティク・ナット・ハン(2022年に95歳で死去)は、瞑想(めいそう)などを通して心を整える「マインドフルネス」を普及させたことで知られる。晩年にそばで教えを学んだ日本人女性の僧名チャイ・ニェムさん(47)が3月、マインドフルネスの普及を進める僧侶団の一員として広島を訪問した。(山田祐)

 チャイさんがティク・ナット・ハンに弟子入りしたのは2009年。バイオリニストとしてドイツの室内管弦楽団に所属していたが、「やり切った」という思いを抱えていた。母をがんで亡くして心が沈む中、フランスにある僧院を訪ねた。

 僧院に2週間泊まり、そこに住む人々と過ごした。ゆっくりとした時間が流れ、「古里に帰ってきたよう」と感じた。心のもやもやが晴れ、学び続けたいと強く思った。音楽家の道を離れ、僧侶になると決めた。

 師に教わったマインドフルネスとは「今、ここにいて、自分と向き合う」こと。大切なのは心の在りようなのだという。「座ってゆっくりと呼吸をする瞑想を取り入れるのは、リラックスして自分の内面を見つめるためです」。集中できるのなら、散歩や通勤途中でも実践できると説く。

 日本を含む先進国の現状を、師は憂えていたという。核家族化が進み、近所や親戚の人々と関わることの少ない社会。心を病む人も増えた。「大家族の中で子どもが安心して育っていく環境が失われたことが大きい、と話していました」と振り返る。

 人と人のつながりは希薄になった。「食事中もスマートフォンを操作している人が多くいますが、それではじっくりと味わうことができません。心と体が分裂してしまっているようです」。マインドフルネスは、心を取り戻すための営みでもあるのだという。

 師は、米公民権運動の指導者キング牧師とも親交があった。祖国が南北に分かれて戦ったベトナム戦争では、いずれに対する支持も拒み、非暴力での和平を訴えた。紛争は今も各地で絶えず、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃が続く。

 チャイさんが共有したいと考えるのが「全てのものは関わり合い、私の命もたくさんのものに支えられてここにある」という仏教の思想だ。「それを本当に知っていれば紛争など起きるはずがありません」

 相手を敵だと思い込んだら、攻撃したり、何かを奪い取ったりする。好戦的な為政者がそれを組織する。「その思考は個人個人の意識の中にあるものです。それが集合体となって紛争となります」と強調する。

 大切なのは一人一人の中に平和を生み出すこと。マインドフルネスの実践を通し「今この瞬間」に立ち返れば、争い合うことの愚かさと平和の尊さに気付くはずと考える。

 今回、広島市中区の平和記念公園を訪れ、被爆者の「地獄のような体験」を聞いた。「戦争は遠い昔の出来事ではないとあらためて感じました。癒やされない傷は次代、その次の世代へと伝わっていきます」

 原爆ドーム対岸の元安川親水テラスでは、広島で被爆したロシア人パルチコフさんのバイオリンを奏でた。「大切に継承してきた人々の平和への思いが詰まった音色は優しかった」。一人一人の内面にある平和のエネルギーを育んでいかねば、とあらためて誓った。

 世界で勢いを増す核抑止論の愚かさを痛感する。「お互いにびくびくしながら生きるのは、平和な人間らしい生き方ではありません」。一人一人の中で変容が起これば、核兵器が必要ないものであると気付くはず―。マインドフルネスの実践を通じ、訴えていこうと決意している。

ティク・ナット・ハン
 平和運動で世界的に著名な禅僧。ベトナム中部フエに生まれ、米国などのほか長くフランスで活動した。ベトナム戦争時は「行動する仏教」を掲げて非暴力の教えに基づく和解を提唱。「マインドフルネス」の普及に尽力した。

(2024年4月1日朝刊掲載)

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