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連載・特集

緑地帯 若狭邦男 私と大江コレクション⑥

 大江健三郎氏が東京大在学中に書いた小説「奇妙な仕事」は、彼が世に出るきっかけとなった。1957年、東大五月祭賞受賞作として「東京大学新聞」に載り、文芸評論家の平野謙氏の激賞を受けたのだ。大江氏は翌年、文芸誌「文学界」に「飼育」を発表し、芥川賞を23歳で受賞する。

 私は大学生の時に「奇妙な仕事」を読んだ。「付属病院の前の広い舗道を時計台へ向って歩いて行く」主人公が、大学内の掲示板で犬を殺すアルバイトを見つけて応募する。衝撃的だった。暮れの空に響きわたる犬の声が、不安を抱えた私の耳にも届くように感じられた。

 卒業後、会社員を経て大学院へ復学、研究者となった私は、30歳を前にして東京・神田の古書店街に近い研究所に勤めた。ある日、近所の喫茶店で高校の同級生と会った。彼が勤める大学も近くにあり、昼休みには一緒に古書店街に出かけるようになる。歴史学者の彼は専ら戦争関連の資料、私は大江氏の資料を探した。

 彼は東京大卒で、聞けば古い「東京大学新聞」を持っている。「奇妙な仕事」の掲載紙も、という。自宅に押しかけて奪うように譲り受けたそれが今、手元にある。

 なお、この東京時代、古書への興味は終戦直後に乱発された「カストリ雑誌」やミステリーの希少本などにも拡大した。収集癖は家庭を持った後も尽きることなく、家族に多大な迷惑をかけることになる。(古書コレクター=広島市)

(2024年4月3日朝刊掲載)

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