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連載・特集

緑地帯 若狭邦男 私と大江コレクション⑦

 講演会やサイン会をはじめ、大江健三郎氏と直接、会って言葉を交わしたことが何度かある。最初は1973年3月24日。手元に残る「3・24被爆者解放総決起集会」と記された厚手の紙のチケットが、日付の確かな証明となる。

 当時、私は地元広島の大学で修士課程を終え、東京の大学院博士課程へ進もうとしていた。引っ越し前のあわただしい日々の中、大学構内の立て看板に「大江健三郎来たる」とあるのを路面電車の車窓から見つけ、チケットを入手した。

 会場は社会福祉会館(広島市南区)大ホール。集会は「安保粉砕」「日帝打倒」といったスローガンも掲げつつ、大江氏の講演と被爆2世たちの訴えを中心に据えた。各派に分かれ暴力的抗争も経験した学生運動が、市民とともに新たな運動を模索した時期だったように思う。私にとって、このような集会に出かけるのは初めてだった。

 講演当日、緞帳(どんちょう)が上がると、大江氏が1人で立っていた。当時38歳。「共感します、支持します」などと短く語るうち、十数人の学生がサッと彼をガードするように登壇したのを覚えている。大江氏は「共感」と再度言い、学生たちに先導・護衛されながら退場した。

 私はその姿を目で追って、ロビーに先回りして待ち受けた。熱心な読者であることを告げ、「明日、東京で下宿先を探します」と付け足した。大江氏は気さくに「連絡したらいい」と言ってくれた。 (古書コレクター=広島市)

(2024年4月4日朝刊掲載)

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